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≪HEADLINE≫
*観劇レポート 劇団「蜻蛉玉」第15回公演「すこし、とまる」 (09.04.30)
*≪Dreamers オススメLIVE≫更新しました。(09.05.18) 

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≪観劇レポート≫ 09.04.30

≪劇団「蜻蛉玉」第15回公演 「すこし、とまる」≫ (作、演出:島林 愛)
4月28日(水)、日暮里の小劇場「D倉庫」で行われた、劇作家、島林 愛、率いる劇団「蜻蛉玉」の第15回公演 「すこし、とまる」を観た。1年半ぶりの公演だ。
私はこれまで第13回公演「頂戴」(過去記事参照)、第14回公演「たいくつな女の日」を観て、大変面白かったので次作を待っていたが、その後お預けを喰らっていた格好だ。久しぶりに新作が観られるという事で、はやる気持ちを抑えながら劇場へ向かった。

「蜻蛉玉」公演に、人間ドラマや感動的な物語を期待すると、大いに裏切られる。
抒情に満ちた感動やカタルシスを求めても、そんな拠り所は何処にも存在しない。特定の人物の人生や人間関係を見る事も出来ないし、もちろんギャグやお笑いも無い。
テーマに基づいた起承転結やメッセージの発信も無いし、現実的な人間ドラマを構成する思い入れタップリの台詞なども一切無い。あるのは一見意味をなさない平凡で、とりとめも無い会話を、登場人物達がぶつぶつ呟き、なにかしら動き回っている“状況”だけだ。
登場人物一人一人の役柄にも全く意味や性格を与えていない。舞台上でどんどん別の「人物らしきもの」や「物らしきもの」に取り替わってゆく。役者は“現実にいるが如き人間”を演じているのではなく、“動き、喋るオブジェ”として舞台上に配置されているだけだ。
所謂、一般に言うところのお芝居ではない。観客を芝居に同化させる事を完全に拒否している。
演劇であって演劇で無い “演劇的状況”が舞台上に投げ出されているだけなのだ。
島林は常に、登場人物の夢の中や、記憶、荒唐無稽な挿話などをパッチワークの様につぎはぎし、全体を観させた上で、観客に物語に隠された意味を問いかけるという手法を取っている。
島林にとっての演劇とは、舞台という空間と、役者という人間と、経過という時間を表現ツールとして、島林の想念を描き出した、一種のタブロー、コラージュ的抽象絵画なのではないかと思う。
観客はそのタブローを、端から端まで、つまり開演から終演までをじっくり観て感じる事で、物語に隠された意味を探し、謎解きゲームのように楽しむのだ。逆に受身で芝居の流れに身を任せていると、理解不能に陥り、楽しめないどころか、全く無駄な時間を過ごしてしまうことになる。

前置きはこれ位にして、今回の「すこし、とまる」を考えてみよう。
「すこし、とまる」の表題について、島林は言う。
漢字で「少し」と「止まる」をくっつけると、「歩く」という文字になる。つまり少し止まるという事は、歩く事なのだと。
本来「歩」という文字の起源は、左右の足跡が上下に並ぶ形を象形化したもので、「止」と「少」の組み合わせでは無い。後世に似た文字を当てはめただけで、島林の言うところの意味は存在しない。しかし、確かにそう言われてみれば納得してしまう話であり、そこに目をつけた島林の勝ちである。

物語は、自殺?とも思える行動、つまりビルから飛び降りた事によって大怪我を負い、病院で療養中の、真一という青年を中心に展開してゆく。
暗闇の奥に大きく浮かび上がる三日月で舞台は始まる。
舞台は大道具やこれといった装置の無い、ダークグレイ色のスケルトン仕様。
僅かに白い二個のキューブや自立式のコートハンガー1台が、場面空間を想定させる小道具として使い回しする為に置かれているだけの殺風景な空間。
舞台の片隅に病院のベッドに寝る真一が浮かび上がり、次に妹の初子との子供の頃のたわいない記憶が再現される。
そしていつの間にか、舞台に白熊と黒熊が登場し、「白熊さんと黒熊さん」のお芝居に転じる。
1時間半の“演劇的状況”を常に牽引し、所謂狂言回しとして何度も登場するのが、この「白熊さんと黒熊さん」という寓話だ。この演劇のために島林が書き下ろした(彼女は童話と呼んでいる)もので、脚本を書く前に、まずこの寓話を書いたと言う。

では「白熊さんと黒熊さん」とはどんな物語か。
『昔、森に白熊と黒熊が仲良く暮らしていた。いつも一緒に遊び、森の木の実を摘み、スープにして飲んだりしていた。ある時、黒熊は「人」と友達になりたいと白熊に相談する。白熊のアイデアで黒熊は「人」の女の子と友達になり、里に住むようになる。しかし白熊との生活が忘れられず、白熊を里に呼び寄せる。するといつの間にか白熊と女の子が仲良くなってしまい、あろう事か女の子は白熊の子供を産んでしまう。黒熊は一人取り残され、月を見る度「おーん、おーん」と泣く。こうして生まれた半人半熊の子供の子孫が現在の「人間」になったとさ。』
という寓話である。
この寓話が、ある時は朗読として、ある時にはお芝居仕立てで、真一の夢や記憶の再現として登場する。

また、様々な挿話が、脈絡無く、しかし意味ありげにテンポ良く展開される。
挿話のパッチワークだ。
挿話-1として二人の女が、ありきたりの恋愛話を、歩きながら、駆け足をしながら、べたべたと話し続けるくだり。
挿話-2として、薬剤師の女性がその助手に、窓の外に降る初雪を眺めながら、自分が薬剤師になった訳をぶつぶつ語るくだり。
挿話-3として、かつて真一が通った幼稚園での、二重人格で偏執的な先生によってもたらされた恐怖体験のくだり。
挿話-4として、白熊と「人」の木こりが突如セックスするくだり。
(これは上演後、島林の説明で分かった事だが、真一が両親のセックスを覗いてしまったという暗示だったらしい。)
しかし、これらの挿話自体には物語のテーマに対し、何の意味も持っていない事が次第に分かってくる。
その他、雷を現すコトコト鳴る小さな雷太鼓、小さく光る小さな玉、などが視覚的・聴覚的オブジェとして配置されるが、これも特に意味を持たないアクセサリーの類だ。ただ時折微かにビートルズらしき曲(曲名は不明)が流れるのが、妙に意味を持たせているようで気になった。私としてはこの選曲は測りかねる。
そして終演近く、ようやくドラマ風になる。病室の真一を見舞う妹や恋人達の会話。恋人は真一の飛び降り事件を自殺と信じ、何故自殺などと嘆いている。しかし妹はあっさり事故だと言う。
そして「白熊さんと黒熊さん」を読む事を真一にしつこく勧める看護士が登場する。看護士を演じているのは、島林本人だ。
最後に真一が飛び降りる場面が“いかにも”ショッキングに再現され、終演となる。飛び降りた理由はわからないままに。

謎解きゲームとして「白熊さんと黒熊さん」という寓話に、重要な鍵が隠されていると考えるのは、当然の事だろう。
島林自らが書いたという「すこし、とまる」の白熊と黒熊が描かれたフライヤー。終演後のトークセッションで、本人は、このデザインは左右対称になっていると意味ありげに語る。
また、人は白熊タイプと黒熊タイプに類型化できるとも語る。この舞台を観た限りでは、そこ迄は理解しがたいと思ったが、なんとなく云わんとする事は分かる気がした。ロジカルな理解の仕方は、島林演劇には無用だろう。
そういう見方で舞台を振り返ると、先に紹介した、挿話-1.2に登場する人物は二人である。だとすると、どちらかが白熊で、どちらかが黒熊なのに違いない。
挿話-3の二重人格先生は、自身の中に白熊と黒熊が内在しているとも思える。
挿話-4の白熊と木こりもしかり、真一と初子、初子と恋人も同様かもしれない。つまり登場人物の全てが、白熊か黒熊なのだと思えてくる。
また、人は常にどちらかに固定しているのではなく、状況や相手との関係において、白熊であったり黒熊であったりすると言っているようにも思える。
では何故、真一が、ビルから飛び降りたという設定がなされたのか。恋人の考えるように自殺だったのか、それとも妹の言う事故だったのか。真一の病院での態度を見る限り、とても自殺未遂者には思えない。精神的に健康そのものだ。すると、実は白熊か黒熊、つまり真一は、ある時、飛び降りるか、飛び降りないかのどちらかを選びたくなっただけで、自殺か事故かは真一にも解からない。死ぬことを決意した訳でもなく、かといって死なないと確信していた訳でも無い。偶発的な意思の作用で、飛び降りる事を選んだに過ぎなかったのだと思えてくる。
勘ぐって考えると、この設定も謎解きゲームに用意された挿話の一つでしかなかったのかとさえ思えてくる。

そう考えてくると、「すこし、とまる」のトリックが見え出してきた。
フライヤーの左右対称。「少し止まる」は「歩く」事という説明などからも、島林の意図が見えてくる。つまり、人に限らず、全ての事象は常に表裏一体の二面性、つまり「白熊」と「黒熊」である。
そして看護士=島林は、この寓話をしつこく読めと舞台上で語っているのだ。あたかも、そこに秘密が隠されているのだとでも言いたかったのであろうか。
翻って考えてみれば確かに、生と死、存在と不在、日常と非日常、常識と非常識、地球と宇宙等々、全てが表裏一体で且つ二面性を持っている。
生を証明するには死が無ければならない。存在を語るには不在があってこそ、なのだ。
また、自分が自分である事を認識するには、自分では無い誰かを対象化しなければならない。
また自己の不在感は、誰かの存在を認識しているからであり、またその誰かとは自分自身の裏返しかもしれないのだ。
自らの意思によって死を選ぶ瞬間、もしくは真一のように死につながる行為を選ぶ瞬間、人はどこに立っているのだろう。自己存在を否定しようとしているのか、或いは自己否定から開放されようとしているのか。真一は“少し止まろう”としただけなのか、はたまた“歩こう”としただけなのか。

生とは何なのか、死とは何なのか。この不可解な謎を解く一つの鍵を、島林は「白熊さんと黒熊さん」という寓話で提示しようとしたに違いない。
「在る」ことと「無い」こと、表裏一体の二面性、この巡り廻るエンドレスなメビウスの輪は、人がエデンの園を追放されて以来の、人が人である事を認識した時からの、永遠に解決しない苦悩であり、だからこそ不条理という概念が生まれてきた。
島林は「白熊さんと黒熊さん」という寓話や挿話という仕掛けを持ち込むことで、この不条理という解決不能なテーマを、荒唐無稽なシチュエーションに置き換え、さらにそれを全く平凡で、とりとめない日常的会話のやり取りに置き換えてしまう事で、謎解きゲームの演劇として成立させたかったのではないだろうか。そして、その目論見はある程度の成功を納めたといって良いだろう。

この劇作法は、かつて不条理演劇と呼ばれ、演劇界に波紋を起こした「ゴドーを待ちながら」のベケットや「禿の女歌手」のイヨネスコを彷彿とさせる。しかし島林と彼らとの相違は、戯作者自らが演出している事だ。
島林は小屋を決め、役者を決めてから台本作りに取り掛かると言う。また役者が役柄に感情移入しないよう細かく指示を出しているように見受けられる。冒頭に書いたが、島林演劇の登場人物は、動き、喋るオブジェであると感じる所以である。
恐らく島林演劇は、島林本人が演出することで初めて舞台完結するのだろう。島林は戯作家ではなく、ライブな劇作家なのだ。島林にとって演劇公演は、音楽に於けるライブハウス公演と同様の意味を持っているのだと思う。自己の想念を舞台化する為のあらゆる行為が島林の劇的創作行為なのだ。
過去に観た蜻蛉玉公演も、根底に流れるテーマは、人間の持つ不条理感であったと思う。島林は毎回新しい仕掛け、トリックを用意し、様々な角度からこの難解なテーマを解析しようとしているのが見える。
しかし、けっして理屈っぽい語り口では無く、視覚的、聴覚的楽しさをしっかり準備し、間を置かないスピーディーなテンポ感で、演劇としての楽しさを充分味合わせてくれる手法は秀逸だ。
それにしても何故、島林は不条理をテーマにしようとするのか、興味の湧くところではある。
次作はどんな仕掛けで楽しませてくれるのか、今から楽しみである。
(N・S記)

≪ライブレポート≫08.05.28

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≪Olive カムバックライブ at SUNNY SIDE≫
5月28日、ジャズボーカリスト“Olive”のカムバックLIVEが、高田馬場「SUNNY SIDE」で行われた。
何故カムバックかというと、出産・育児という大任を神様から委ねられ、約1年半に亘ってライブ活動を休止していたからである。
私をはじめ多くの彼女のファンは、その復帰を待ち望んでいたが、なによりOlive自身が欲してやまなかったであろう事。そして、この日の為に育児に追われながらも、歌を諦めることなく日々地道な研鑽を積んでいたであろう事は容易に想像できる。
なぜなら、1曲目を聴いた瞬間に、その答えを明確に聴き取れたからだ。
張りのある歌声、ビビットなスイング感、そしてなにより素晴らしかったのは、唄える事への喜びが、表情はもとより体全体から、はちきれんばかりに発散し、我々聴衆の心を掴み取ってしまったのだ。
そう、例えていうと空気を一杯に溜め込んだ風船が、割れはじき飛んだかのような爆発力だ。
その唄う事への、Oliveの溜め込んだ希求感が一気に爆発し、声となり歌となり、リズムとなり、ビビットなテンションとなり、素晴らしいスイング感を溢れさせたのだろう。
また、休業中に経験した家族との愛、絆、様々な人生の葛藤が、彼女の人間性を大きく育て、豊かにし、歌に深みが出たのかもしれない。
その意味で、とても余裕のあるパフォーマンスを感じる事が出来た。正直言って、これほど楽しげに唄うOliveを観たのは初めてのような気がするほど、新鮮で豊かなパフォーマンスだ。

また、カムバックLIVEをサポートしたメンバーの素晴らしさも大きな功をなしたと思う。
彼女のLIVEを常にプロデュースしサポートする、ピアノの小野孝司は勿論、今回はビブラフォンの渡辺匡彦を招き、ベースの新岡誠、ドラムの今関和彦と申し分の無いメンバー。
その圧倒的なスイング感に、Oliveは前へ前へと、気分良く押し出されたのかもしれない。
なにはともあれ、Oliveはこのメンバーに遜色の無い唄を披露してくれたのだから言う事は無い。

もともと、Oliveのボーカルはとても特質がある。日本の他のボーカリスト、いや本場のボーカリストにも類似性を見ない。その声質からも由来しているのだろうが、ハスキーでもアンニュイでもないし、歌い上げるタイプでもない。
以前から私は、彼女を評して「下町のおきゃんな娘」のボーカルと言っているが、まあ本人はそれで納得しているかどうかは別として、甲高い声でまくし立てるように唄う様が実に下町のおきゃんな娘、キュートで愛らしいのだ。ねばりの無いストレートな歌い回しが、彼女の真骨頂。
だから彼女のテンションが高ければ高いほど、そのキュートさが倍増し聴いている者を楽しくさせてくれる。

今回のカムバックライブは、満を持したOliveの高いテンションによって、Oliveの特質を充分に堪能させてくれ、素晴らしい唄を聴くことが出来た。
今後は育児との共存を図りながら、少しづつLIVEの回数を増やしていくとの事。
新たなスタートラインに立った言っていいだろう。

家族を大事にし、歌を大事にするOliveのボーカリスト人生を応援していきたいし、テンションの高いおきゃんな唄をこれからも聴かせて貰いたいと思う。

共演:渡辺匡彦(vib) 小野孝司(pf) 新岡誠(b) 今関和彦(d)
2008年5月28日 高田馬場「SUNNY SIDE」にて
(N・S記)

≪JAZZ LIVE 情報≫

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≪田井中福司&小野孝司グループ≫
ニューヨークで活躍する日本人ドラマー、田井中福司さんのJapan Tour 2008 Februaryが、2月7日、名古屋を皮切りに、スタートします。
そしてこのTourの最終日を飾る、3月1日(土)、ピアニスト小野孝司グループとのセッションライブが行われます。
田井中さんは、ニューヨークを拠点に活躍し、確固たる地位を築きあげている日本人ジャズドラマーとして有名です。1980年に渡米後、Lou Donaldsonに見出され、20年余に亘りそのレギュラーメンバーの座を明け渡した事が無く、またDr.Lonnie Smithのバンドでも活躍、Dizzy GillespieやGeorge Bensonなど多くのビッグネームとも共演し、ニューヨークのジャズシーンで、彼の名を知らない人は居ないと言われるほどです。
田井中さんのドラムは「歌うドラム」とも評され、打楽器でありながら美しく流れるような旋律を奏でるバチ捌きとファンキーさは見事と言う外なく、心から酔いしれる事ができます。

田井中さんのJapan Tourは毎年2回程度行われていますが、今回も日本全国約20ヶ所を1ヶ月に亘り、日本の様々なミュージシャンと共演を繰り広げます。
そして楽日を飾るのは、小野孝司グループとの共演です。
小野孝司さんは、日本に於ける有数のハードバップピアニストです。昨年のTourでも共演し、田井中さんから是非最終日は小野さんでと指名されたとの事。
小野さんは、Bud PowellやThelonious Monkをこよなく敬愛し、Barry Harrisをわが師と仰ぐほどハードバップに傾倒し、「ハードバップの求道者」と異名がつくほどです。
そのスリリングなスイング感は、且つ又素晴らしくファンキーなのです。

共演メンバーは小野さんの他、藤井寛さん(Vib)佐藤忍さん(Bs)が参加、最終日にふさわしい素晴らしくファンキーな演奏が期待できそうです。
≪LIVEデータ≫
日時:3月1日(土) Open:19:00 Start:20:00
場所:錦糸町「Early Bird」 
    墨田区亀沢3-13-6(山九飯店)2F TEL:03-3829-4770
    http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
MC:¥3,500(1ドリンク、1スナック)
田井中福司HP:http://fukushitainaka.com/index.php
小野孝司HP:http://takashiono.com/

ご予約・お問合せは、「Early Bird」に直接お電話されるか、または当サイト、アクセスページからメールでお願いいたします。

≪ライブレポート≫2007.11.06

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≪IZUMI ワンマンライブ at 南青山MANDALA≫

11月6日、都内「南青山MANDALA」で行われた、IZUMIのワンマンライブを観た。
IZUMIは当サイトで度々紹介し、応援しているシンガーソングライター。今年4月にセカンドアルバム「アルメリア」を発表し、精力的なライブ活動を展開、この日を迎えた。南青山MANDALAは都内では老舗のライブハウスの一つで、ここでワンマンライブをする事は至難の事らしく、多くの新人ミュージシャンの夢の舞台。
しかし、IZUMIは「アルメリア」制作中、どうしても年内に南青山MANDALAでワンマンライブをしたいと無謀にも思い立ち、セカンドアルバム発表後、店に掛け合い、了解を取り付け、この日に向けてライブ活動を展開してきたという。
ライブハウスでの活動の他、より多くの人に自分の存在を知ってもらうべく、8月下旬からは毎週土曜日、欠かさず横浜桜木町駅前広場でストリートライブを敢行。
余談だが、このストリートライブで、ある大手求人情報会社の広告企画担当者の目に留まり、そのCM出演者として抜擢。自己のオリジナル曲に情報誌の宣伝歌詞を載せ歌うシーンが、11月中都内各所のビッグスクリーンや映画館で放映されるそうだ。IZUMIの努力が思わぬラッキーな副産物を生んだという事だろう。

さて、前置きはこれぐらいにして、今回のライブをレポートしてみよう。
ライブは約2時間、休憩無しのパワープレイで行われた。開演前にその話を聞き少々心配したが、それが杞憂だった事がライブ終了後に分かった。IZUMIの素晴らしいテンションは最後まで維持され、あっという間の2時間であった。演奏曲は「アルメリア」収録曲がメインだが、新曲3曲も披露、中間にブレイクタイム的に洋楽カバー曲も挿入し、アンコール曲2曲を含め全18曲を唄い切った。

開演を知らせる場内暗転の中、荘厳かつ魂を揺るがすようなパンフルートの音色が響き渡り、その序奏が終わると同時に激しいパーカッションが鳴り響く。そしてIZUMIがスポットライトに浮かび上がり、ファーストアルバム「アナム」に収録されている「語り継がれる物語」からスタート。その激しいリズムと切ない曲想に会場は一気にIZUMIワールドに塗り替えられていく。

2曲目は新曲「No Cry」、ラテンポップ的ダンサブルな曲だが、フルートのオブリガートがノスタルジックな郷愁を誘う。IZUMI独特の暗く重い歌詞の内容と、ポップなサウンドとが実に巧みにマッチングされている。このダンサブルなPOP感は「私の価値観」「If」などで既に形付けられていたが、もう一歩踏み込んだ内容だ。サードアルバムを見据え、次のステップを踏み出し始めているIZUMIワールドを開演2曲目にして垣間見せられた気がした。

「アルメリア」収録曲、「So happy」「If」「Water way」「悲しいピエロ」、IZUMI自身が最も好きだという「私の価値観」そして「転生」と、メンバー紹介などMCを挟みながら切々と唄い込んでゆく。どの曲も胸を締め付けられ、聴く者の魂をえぐり出してゆく。
ここで、ブレイクタイム的カバー曲3曲が挿入され、ちょっと一息というところか。
確かに2時間パワープレイで、IZUMIワールドオンリーでは、聴衆も辛いかもしれない。心憎い配慮だ。

カバー曲が終わって、「アナム」から「くだけ散った・・・」そして新曲2曲目「トレモロ」が披露される。この曲は他のメンバーは舞台裏に退き、ピアノだけが坦々と和音を1拍毎に打ち叩き、IZUMIは捉えきれない恋人の心への想いを静かに切々と唄い語る。ピアノを打つ音がIZUMIの心臓の波打つ鼓動のように聴こえてくる。
「ねえ〜耳元をくすぐるように 聲を聞かせて心を震わすように なにか伝える様な 寂しげなその瞳 何故なの 手を差し伸べることさえ出来ずに・・・・」
なんと切ない想いだろう、そしてなんと美しいメロディーなんだろう。会場は静まりかえり、その想いの深さに聴衆は酔いしれた。前曲の「くだけ散った・・・」とオーバーラップし、2部作とも受け取れる秀作である。

MCとしてサマーバカンスにアメリカに行った時の事、ストリートライブでの事などを織り込みながら、「天使の羽音」「月雫」と続き、いつもラストに唄う「幸せの音」でステージを締めくくった。
「幸せの音」は希望の歌。「そっと引き寄せる未来 このままずっと一緒にいよう・・・」
ライブでは観客は必ず手拍子を叩き、IZUMIと共に明日への希望を願うのだ。
曲が終わり全員が舞台から消えても、この拍手は鳴り止まずアンコールへと導かれた。
「奇蹟」そして3曲目の新曲「広いこの世界に咲く花のように」が最後に披露された。
この新曲も希望の歌だ。「広いこの世界に咲く花のように 想像を超えて咲き誇れ 涙で・・・」

セカンドアルバム「アルメリア」評でも記していたが、IZUMIの歌は絶望と希望である。
耐え切れないほどの不信感、人と人との断絶感、人生への絶望感、自己の不在感をIZUMIは、詩と歌に置き換えることで耐え忍び、僅かな心の安寧を図っているように思える。
IZUMIが織り成す、詩や曲はその殆どが悲しみと絶望の歌なのだ。
しかし歌う事で、小さな幸せ、小さな希望の存在を見出し、自己確認するように最後に希望の歌を心のそこから歌い上げる。そう、未来をそっと引き寄せ、涙で花を咲かそうとするのだ。
シンガーソングライター「IZUMI」は歌を創っているのではない。歌でしか自己を確認し生きる術を持てない、ある意味不器用な生き様なのかもしれない。しかしだからこそ、人の心を打ち、真の共感を呼ぶのだと思う。

ここで忘れてはならないのは、IZUMIを心から愛し支える、ミュージシャン達の存在だ。
約7年に亘って根気よくIZUMIをサポートしプロデュースしてきた、小西智之氏。
IZUMIが歌う事に迷った時も諦める事無く、1年余に亘る「アルメリア」の制作、ライブ活動を経て、そして今回の南青山MANDALAライブへの周到な準備を行ってきた。彼の言によれば、それこそ彼自身の生活を捨ててまでのサポートであったという。
「アルメリア」から音楽プロデュースを担当する、ギタリスト友森昭一氏。友森氏はIZUMIの歌の暗さ重さを払拭し、逆転の発想でダンサブルなPOP感溢れるアレンジを行い、誰もが受け取り易いイメージ作りをする事で、逆に詩の意味を際立たせ、且つIZUMI本人に歌う事への自信を待たせるという離れ業をやってのけた。
この二人無しでは、今のIZUMIを語る事はできないだろう。
そして、パーカショニストの栗木健氏。彼は数年前からIZUMIのサポートメンバーであり、彼のアイデア溢れるパーカッションは見事なリズム感で、IZUMIのややもすると重くなりがちな音楽を、上へと引っ張り上げている。彼のひょうきんさも功を為しているように思える。
「アルメリア」以降に参加した、フルートの芳賀文恵氏もIZUMIの音楽にとって重要な存在となりつつある。今回のライブでも、彼女のセンシブルで軽やかなフルートは、IZUMI独特の声質と見事にマッチし、バンド全体にふくよかさと浮揚感を持ち込んだ。
彼らは皆、様々なキャリヤを誇るミュージシャン達であるが、何故かIZUMIというアーティストに惚れ込み、ボランティア同然でIZUMIの音楽作りを楽しんでいるようだ。
人の心を捉えて離さない、IZUMIの音楽の切なさ、深さ、希望、楽しさは彼らが創り上げていると言っても過言ではないだろう。

あと、ライブ舞台のバックに、曲に合わせたイメージ映像が幾度か放映された。この映像は新進映像作家、迫田公介氏とそのスタッフによって、今回のライブのために急遽制作されたものらしい。IZUMI本人が出演し、泣き、笑い、とても効果的な映像で曲のイメージを視覚的に訴える事で、ライブ感を膨らます素晴らしい出来映えであった。彼らもまた、IZUMIに惚れ込んでしまった口らしい。

こうして、南青山MANDALAワンマンライブは、満員の観衆と最後まで鳴り止まない拍手喝采で、大成功を納める結果となった。無謀と思われた夢が一つ実現したのだ。
IZUMI本人や、プロデューサー小西氏によると、今回のライブがターニングポイントであり、一つの目標を成功のうちに終えられた事で、次の目標に向かう事が出来るようになったとの事。
来年のサードアルバム発表に向けて、既に彼らは共に歩き出そうとしている。
IZUMIとその仲間が創り出す音楽が、普通に街角で流れている日が来るのは、そう先の事ではないように思える。記者もその日まで、彼らを追いかけていこうとライブ帰りの道すがら、心に誓った。(N・S記)

<データ>
場所:(都内)南青山MANDALA
開演:19:30
出演:IZUMI(Vo)、芳賀文恵(Fl)、友森昭一(Gt)、小西智之(Pf)、栗木健(Perc)
映像:迫田公介&スタッフ

*近日中に当サイトにて、ライブ映像の一部を配信します。楽しみにお待ち下さい。

≪CDレポート≫2007.05.28

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≪「アルメリア」を聴く≫
シンガーソングライター「IZUMI」のセカンドアルバムが発売された。
タイトルは「アルメリア」。アルメリアとはアイルランドの一部の地域で今も使われているゲール語で「海の近く」という意味らしく、またアルメリアと名づけられた花があり、花言葉は「幸せ」。
言葉の響きや意味、花言葉に魅せられて2年程前からセカンドアルバムのタイトルは、アルメリアにしようと決めていたという。

「IZUMI」は、アイルランドのケルト音楽に強く惹かれ、単身アイルランドに渡り、ケルト音楽を直に体感、自己の音楽世界に強い影響を受けたらしい。
もともと幼い頃から音楽に興味を抱き、15歳頃からボイストレーニングを受け、ポップスやジャズのボーカリストとして音楽活動を展開していたが、こうした体験を基にオリジナル曲の制作をするようになり、2003年ファーストアルバム「ANAM〜アナム〜」を発表。3年余を経て、今回「アルメリア」を制作、発売となった。

「IZUMI」の詩の世界を一言で表すと、「絶望」と「希望」ではないだろうか。
彼女の詩には、ありきたりの観念的で空々しい言葉は一つも無い。彼女が生きていく中で想い苦しみ、もがき続ける心の葛藤が生々しい言葉で綴られている。孤独と絶望感が満ち溢れている。およそポップスとは縁遠い言葉の重さを感じてしまう。
しかし、彼女はその絶望の淵に立ちすくみながら、必ず未来はある、必ず自分の生きる場所は存在していると信じ、一筋の光明を捜し出そうとしている。
そう、アイルランドの荒れ狂う海の絶壁に立たずみ、水平線の彼方に差す一条の太陽の光を捜し求める彼女の姿が思い浮かぶのだ。
絶望の中にこそ希望を見出そうとする深く重い心象世界は、そつのない、愛や恋や希望といったシュガーな言葉で言いくるめられた歌に聴き馴らされている現代人にとって、大きな衝撃を感じると同時に、強い共感を呼ぶにちがいない。

しかし、彼女が作り出す楽曲は、けっしてその詩の重さを感じさせない。これらの詩が彼女独特の美しい声帯から発せられ、ダンサブルなメロディーとリズムに載せられ、空中を浮遊し始めると、一転して心に浸み亘る聴き心地の良い歌へと変貌していくのだ。
アレンジもまた、ワールドミュージックのエッセンスを実に巧妙に取り入れ、詩の重さを払拭している。
詩の内容に捉われない音作り、いや詩の世界にあえて背反する事で逆に詩の意味がしっかり見えてくる、そういう曲作りを目指したのではないだろうか。そして、そのコンセプトは見事に成功している。
このCDを初めて聞くと、詩よりもまずメロディーとアレンジの妙に心を惹かれていく。そして厭きない。何度も聴きだす。すると少しづつ詩の内容が見えてきて、「IZUMI」の世界に取り込まれていく。

「IZUMI」は、少なくとも現代の日本では稀有な世界観を持ったシンガーソングライターといって間違いないだろうし、時代が待ち望んでいたリアルなシンガーソングライターと言っても過言ではないだろう。
ドリーマーズは、「IZUMI」を全面的に応援します。(N/S記)

「アルメリア」TRMS-0123 ¥2,500
Songs&Written&Vocal:IZUMI
Produce:IZUMI
Sound Produce:友森昭一
Co-produce&Direction:小西智之

問合せ・購入申込み:TRACE迄eメールにて。アドレス=tomoyu@kt.rim.or.jp
IZUMI」ブログ

≪ライブ レポート≫2007.04.07

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≪森本純雄Four at 赤いからす≫
4月7日、吉祥寺「赤いからす」で開催された、森本純雄カルテットのジャズライブを観てきた。
森本純雄は18歳の頃からロックのベーシストとしてプロの世界に入り、70年代前半は自らのロックバンドを結成しディスコや米軍キャンプ等で演奏していたが、その後ジャズに転向し、数々のジャズバンドで活動してきた、ジャズベーシストである。
今回のカルテットのライブは約1年ぶりであるが、メンバーは前回と同じで、サックスに武田和大、ピアノ横山恵一、ドラム二本柳守という構成で、とても仲のよい気の合ったメンバーである。
武田和大は他のメンバーより年は若いものの、ジャズだけでなく様々なジャンルの音楽に参加し、オリジナルのCDアルバムを制作発売するなど、めきめき頭角を表してきている期待のホープである。テナー、アルト、ソプラノサックスを持ち替え、フルートもこなし、とてもファンキーなサウンドとパフォーマンスで聴衆をハッピーにさせてくれる。
横山恵一はその風貌からは想像できない、繊細で且つスリリングなピアノで聴衆の心をときめかしてくれる。
二本柳守は日本を代表するドラマーの一人であり、ダイナミックでパワフルなドラミングで聴衆の心に熱い炎を燃やしてくれる。
そして森本純雄は、小柄な体からは想像できないスケールの大きいビビットなリズム感と、けれんみの無いフレージング、時折見せるキュートな音質で、確実に聴衆の心の中に侵入し魂を掴み取ってしまう、不敵なベーシストである。
この4人4様のパーソナリティーが見事に合体し、実に楽しい演奏を繰り広げてくれた。

ところでジャズライブの醍醐味は、勿論、生の音のぶつかり合いから生まれる予期せぬ音の連続性、個々のプレイヤーの類稀な演奏力とイマジネーション、プレイヤー同士の音楽による会話等を、それこそ野球やサッカー等のスポーツを生で観戦するが如く楽しむ事ができる事である。特にコンボ演奏はアドリブによる掛合いが真骨頂であり、その千変万化の2度と聴く事ができない演奏に、我々聴衆は心を揺さぶられるのだ。
しかし反面、ミュージシャンがアドリブによるセッションを楽しむあまり、聴衆が置いてきぼりにされてしまう危険性があることも否めない。どの曲を聴いても同じに聴こえてしまい何を演奏しているのか分からない、といった事態が生じることもあるのだ。原曲を知らない人にとってはなおさらである。

しかし、今回のライブに於いて、超満員の客が最後まで帰らず熱狂的にライブを楽しめたのは、森本純雄のライブに対する考え方、捉え方が明確に反映したからかも知れない。
選択した曲は、バッドパウエルやディージーガレスピーの比較的古いものから、最近の曲、また武田和大のオリジナル曲、またラテンやボサノヴァなどを取り混ぜ、幅広い選択肢からセレクトし、飽きさせない曲目の流れを作っていた。
演奏の途中にMCを入れず、パワープレイに徹したのも、聴衆の集中力を切らせない手段として、成功したのかも知れない。
また、個々の曲がアドリブだけに頼らずキチンと編曲され完結していたのも特筆すべきだろう。決め所のフレーズやエンディングがピッタリと決まるのは聴いていて気持ち良く、清々しくさえも思えるのだ。
森本純雄にその辺りの事を聞いてみたら、一つ返事で、自作他作を含め全てアレンジ譜を用い、メンバー全員のリハーサルを行ったという答えが返ってきた。
森本自身、ただテーマに沿ったアドリブを回しているだけでは楽しくないと言う。ライブをする以上一つ一つの曲を作り込みたいとも言う。その方が演奏する側にとっても、聴く側にとっても楽しいのではないかという森本のジャズライブに対する想いは、そのまま演奏に現れ、聴衆に伝って来ているのだ。

一発勝負のジャズセッションも勿論楽しいのだが、ジャズバンドとしての音作りにこだわったライブの楽しさを改めて味わう事が出来た事は、とても素晴らしい収穫であった。
森本純雄の今後の更なる活動に注目したい。
尚、森本純雄、横山恵一、二本柳守は、当サイトのNETWORK ARTISTへの参加メンバーである。(N・S記)

追記:近日中に当サイトi-NEDIOで、今回のライブの一部をストリーミング映像として放送する予定です。ご期待下さい。(編集担当)

≪観劇レポート≫ 2007.03.30

≪演劇「頂戴」≫
3月29日(木)、駒場東大前の「アゴラ劇場」で行われた、劇団「蜻蛉(とんぼ)玉」第13回公演、「頂戴」(作・演出、島林 愛)を観た。
劇団「蜻蛉玉」は、女性劇作家・演出家である「島林 愛」が2001年11月、桜美林大学在籍中に創設した小劇団である。
島林 愛は昨年、作品「マトリョーシカの鞭韆(ふらここ)」で、第12回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した将来を嘱望される若き劇作家である。
これまで自作の作品を、桜美林大学内を始めとして、富山の廃校の体育館や、閉店した食堂、ビルのテラスなど、様々なシチュエーションを利用し、精力的な公演を続けているという。
「蜻蛉玉」の公演は今回始めて観たが、久しぶりに演劇の面白さを堪能する事ができた。

「頂戴」の登場人物は、美雨と浩輔という二人の若者と、羊と呼ばれる女性、他は役名の無い5人の女性と4人の男性である。
しかし実際の人物は美雨という女と浩輔という男だけであり、羊は美雨の鏡としての分身であり、他の男女もまた、美雨と浩輔の思い出や夢想の中の人物として、また自らの変身した仮想人物として幾つかの役柄に変身する。彼らがそれぞれの役柄で話し演じる事で、二人の心のありようが見えてくる仕掛けだ。
しかし、時間が経過するにつけ、浩輔もまた美雨の心の裏側に棲息する人物にも思えてくるのだが。

物語は美雨と浩輔が離婚するにあたって、桜咲く木の下で、二人で過去を彷徨い、思い出を捜す心の旅を描いている。何故思い出を捜すのか。それは美雨が浩輔と別れたい理由を自ら確認したいからだ。
美雨が浩輔と別れたい理由の一つは、自分は本物の木に登りたいのだが、浩輔は一緒に登ってはくれない事。しかし、一緒に登ってくれては嫌だと思う。そして自分も本物の木を見つける事は出来ず、偽物の木に登っていると自虐の念に苛まされている。
また、浩輔に別れるなら一緒に死んでくれと言って欲しいのに、浩輔はそれを拒む事。しかしまた、じゃあ死んでくれ、そう言われるのも嫌なのだ。美雨が求める浩輔のありようは、非常に矛盾に満ちているが、浩輔はその矛盾を指摘せず、拒否せず、美雨のありよう全てを受け入れ、別れさえ素直に受け入れてしまう。そして美雨は浩輔のそんな寛容さが最も嫌で、かつ大好きで甘えてしまう。だから別れるしか無いのだ。
本音は別れたくはないと念じる美雨は、過去を彷徨えば彷徨うほど、浩輔と思い出を語り合えば語り合うほど、別れの理由が見つからなくなり、それ故、やはり別れるしかない不条理の世界に陥っていく。
現代の若者の自己喪失、自己不在、価値感の喪失、自虐性、孤独感、心の閉塞感、それらが、美雨と浩輔という人物から垣間見えてくる。
無論、島林はその事をテーマにしたかったかどうかは別だが。

舞台は、桜を象徴する僅かなオブジェ以外一切の舞台装置を拒否し、アゴラ劇場の建築空間をスケルトンのまま使用している。
舞台奈落へ通じる床のマンホールや階段、メンテナンス用のキャットウォークや梯子、倉庫の簡単には開かない入口パネル、資材搬入用のエレベーターなどを巧みに利用し、人物の配置や出入り、物語の進行に有機的な立体性をもたせ、時間や想念の変化を空間構造で見事に表現していく。
音楽は一切流れない。ガランとしたコンクリートむき出しの静寂な空間の中で繰り広げられる、饒舌だが淡々とした語り口の台詞、ストイックな演技、突如耳をつんざく泣き声、テーブルを手で叩く音。それらが観る者の舞台への神経を集中させ、美雨と浩輔の心の世界を、自らのイマジネーションで一緒に旅する事になってしまう。
テレビドラマや映画では絶対に不可能な、舞台でしか表現し得ない、舞台ならでは、アゴラ劇場ならではの演出手法を選んだ、島林の演出手腕は秀逸である。
また、出演した役者達は、見事に島林の意図に応えた演技をし、微妙に変化する照明も演出意図を明確に感じさせ見事であった。

ラストシーンで、結局答えの出ぬまま二人は「さよなら」を言い、一人残った美雨は舞台奈落へのマンホールの穴をじっと覗きこんで暗転となる。
そう、まさに美雨は自身の奈落を一人覗く事しか術がなくなってしまったのだ。

終演後、島林は某演出家と対談を行った。その中で、島林は劇場を下見した上で、脚本を起こしたという。また、出演する役者に合わせて台詞を選んだという。
島林にとって、演劇とは時間と空間と人間と台詞を素材とした一種のオブジェであり、全てが島林の想念であり言葉なのだろう。架空の物語で人を感動させたい訳ではなく、メッセージを伝えたいわけではなく、今の島林の心のありようを、舞台空間というメディアを使って表現しているかに思える。
対談した某演出家も、「頂戴」は結局全てが「島林 愛」そのものなのではないのかと問い、島林もまた、照れながらそうかも知れないと答えていた。
今回観た限りだが、島林は観客に媚を売ったり、おもねた作品は作らないのではないか。笑いを取るなど受けを狙う事もしない。不必要に観客の情感をそそる音楽も使わない。(いずれ音楽さえも表現素材として使いこなしてしまう日も近いかとは思うが)。
島林は現代に生きている「島林 愛」そのものを演劇という形にして表現しているに過ぎないのだ。我々観客は、その作品を通して「島林 愛」の世界観に触れ、「島林 愛」の感性に感動を覚えてしまうのだ。
島林の感性には既製の概念や観念は存在していないかに思える。自分の目や耳に侵入する日常のあらゆる事象を四方八方のアンテナで捉え、自身とシンクロさせ感性に同化し、そしてシャボン玉のように次々と大気に浮遊し、光を反射し透過し、弾け跳んでいるかに見える。
島林は、そのシャボン玉のような感性を、饒舌で洪水のような言葉の数と、類まれなる演出手腕によって、演劇による自己表現に置き換えられる技を若くして身に付けてしまっている、一種の天才的な存在なのかも知れない。
閉塞感のある現代の演劇状況にあって、今後の活動を大いに注目し、期待できる演劇人であると感じた。(N・S記)
劇団「蜻蛉玉」ホームページ

≪ライブ レポート≫2007.02.10

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≪田井中福司バンド at 赤いカラス≫
2月10日(土)、吉祥寺「赤いカラス」での、田井中福司バンドのライブを観に行った。
田井中福司氏は知る人ぞ知る、ニューヨークのジャズシーン第一線で活躍するドラマーである。
1980年渡米後、ニューヨークを活動の拠点にし、またたく間にその頭角を現し、1985年にはオルガン奏者、Dr.ロニー・スミス、1986年にはサックス奏者、ルー・ドナルドソンのレギュラーメンバーとして抜擢され、以降その地位は揺らいでいない。
日本にもルー・ドナルドソンのメンバーとして何度か来日公演を行っている。

さて今回観た「赤いカラス」でのライブは、田井中福司氏本人の1ヶ月以上に及ぶジャパンツアーライブの内の一つ。全国各地、20ヶ所余の会場を巡るツアーで、会場毎にメンバーを替えるという、エキサイティングでハードなツアーを組んでいた。 しかし、その旅の疲れも一切見せず、パワフルで且つ美しすぎるドラミングを披露してくれた。

田井中福司氏のドラムは、何故こんなにも美しくメロディーを奏でることが出来るのだろう。
決してがなりたてない。ドラムやシンバルを叩きまわし、その大音響とパフォーマンスで聴衆の耳を攻撃する事も無い。
他の奏者の演奏中は、ストイックなくらい静かで、しかし明確なリズムとテンションを間隙無く刻み続け、見事に彼らの演奏のイマジネーションを高め、誘導していく。
ドラムソロに入ると、ドラムとはメロディー楽器だったのかと思わせるほど彼は唄い始める。目を閉じると様々なドラムやシンバルの音域が実に美しい連続性を持ち、メロディーを構築し、ハーモニーを奏で、スイングし、そして且つ、ジャズに最も必要と思われるエキサイティングなファンキーさで聴衆の魂を一点に収斂していく。
その卓越したイマジネーションは、波のうねり、風のそよぎ、雨音、雷神、静寂、太陽の輝き、星の煌き等々、自然の様々な情景を眼前に描き出してくれる。
なんと心地良い響きだろう。しかし目を開き、その音を生み出す腕の動きを凝視すると、千手観音の如き多様な動きに息を呑んでしまうのだ。とても常人技では無い。静かに水面に浮かぶ水鳥の足の如く、空中に静止しながら花の蜜を吸うハチドリの羽根の如く、留まる事を知らないドラミング、その超絶技法の上にこそ、彼の音楽は成り立っている事を改めて思い知らされるのだ。
むろん田井中福司氏の才能の為せる技ではあろうが、ここに至る迄の、たゆまざる努力と訓練の結果である事は充分に想像がつく。

ベースのEHERA佐々木氏、ピアノの久保政巳氏、サックスの佐藤修也氏、彼らメンバーの演奏全てが、田井中福司氏の名采配によって、いつも以上にテンションの高い名演奏になったのは言うまでも無い。
会場にはミュージシャンの聴衆も大勢来ており、後半では、飛入りのミュージシャンも参加するジャムセッションというおまけも付き、聴衆にとってジャズライブの醍醐味を十二分に堪能出来た、実に素晴らしいライブだった。

メンバー:Dr:田井中福司、Sx:佐藤修也、Pf:久保政巳、Bs:佐々木EHERA俊一。

補記:田井中福司氏のホームページがあります。是非ご覧下さい。
http://fukushitainaka.com/index.php
(N・S記)

≪ライブ レポート≫ 2006.12.29

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≪歌舞伎町 年末ジャズライブ≫
去る12月21日「ニューインペリアル」(写真左)、12月28日「RAIMU/2nd」(写真右)にて、それぞれ今年最後の呑み屋ジャズライブが行われた。
各店のジャズライブについてはこれまで度々紹介しているが、両店とも歌舞伎町にある呑み屋さんで、「ニューインペリアル」は毎月1回、「RAIMU/2nd」は毎週金曜日の深夜、プロのミュージシャンを招きジャズライブを行っている。
場所柄、客の年齢層は比較的高いが、ジャズ好きな人たちが多数詰めかけ、お酒を楽しみながらジャズに酔いしれる。一般のライブハウスとは違い、ジャズを聴くというよりは生のバンドの音を楽しむという方が的確だろう。そもそもジャズは襟を正して静かに聴くものではなく、人が集う環境の中で楽しく聴き、観るものなのではないだろうか。そういう意味で呑み屋ライブというのは、まさに生のジャズを楽しむには、もってこいの場所である。ミュージシャンと客との距離感がとても近いのも呑み屋ライブならではであろう。
お酒にほろ酔いし、会話を楽しみ、ジャズを楽しむ。だから客達は決して演奏の邪魔をしたりはしない。良いPLAYが出たり演奏が終わると、「イエー」と声をかけ拍手をする。ミュージシャンに握手を求め、「イイネー」と褒める。客同士でもこのピアノは良いねとか、このベースはシビレルねとか、話し合っている。聴き方、楽しみ方をちゃんと心得ている。だからミュージシャンもおろそかな演奏は出来ない。真剣に自分の演奏に熱中している。どうせ聴いてないのだろうと手を抜いた演奏をすると、しっぺ返しが来るのだ。つまり、拍手されないのだ。もっと納得いかない時は「手を抜いてるんじゃないの?」などと叱咤される場合もある。お酒に酔いながらも実に的確に聴いているのだ。
両店共いつもはベテランミュージシャンの出演が多いが、今回の「RAIMU/2nd」では、トランペット、ピアノ、ベースの比較的年齢の若いトリオが出演した。恐らく呑み屋での演奏は初めてなのだろう。最初は緊張していたようだが客の熱気に押され、若さ溢れる気迫のこもった演奏を展開し始め大きな拍手に包まれた。
また、たまたま客に誘われ来店した、ベテラントランペッター、上村氏がセッションに参加したから尚盛り上がったのかも知れない。余談だが、出演したトランペッター宮脇裕子さんと上村氏とは偶然にも住居が向かい合わせであることがその時判明し、話題的にも盛り上がったのだから、尚の事面白い。

来年も「ニューインペリアル」「RAIMU/2nd」のジャズライブが開催され続ける事を願って止まない。
最後に、この両店のライブを運営し、自らもドラマーとして参加し、「RAIMU/2nd」のマスターでもある、ジョニー郷原氏のジャズに対する熱意と尽力に最大の賛辞と敬意を表したい。(N.S記)

「ニューインペリアル」ライブ出演者
pf:市村安正、bs:垣内裕志、dr:ジョニー郷原

「RAIMU/2nd」ライブ出演者
tp:宮脇裕子、pf:尾崎琢也、bs:栗田俊宏、dr:ジョニー郷原

≪ライブ レポート 2006.12.13≫

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≪X'mas Special Live≫
12月13日(水)、前回<LIVEニュース>として紹介していた無料のジャズライブが、JR大崎駅前の「大崎ゲートシティー」内のアトリウムに於いて、同ビル主催による<X'mas Special Live>として開催された。
「大崎ゲートシティー」は様々な事務所や店舗が入居し、昼間は1万8千人の人が活動している巨大複合ビル。その中のアトリウムは、これまた巨大な吹抜け空間で、このビルで過ごす人々の憩いの場所となっている。ここでは毎月様々なイベントが開催されており、このジャズライブもその一つとして開催された。
もともと今回のジャズライブは、同アトリウム内に新規開店する健康系の食品・食材マーケット「リラック」の開店レセプションとして計画されていたが、それだけではもったいないという事になり、アトリウムイベントとしても開催される事となったらしい。
まずマーケット内で演奏が行われ、その後アトリウム内の特設ステージに場所を移し演奏が行われた。演奏曲は、クリスマスにちなんだ曲を中心に、誰でもが聞いた事のあるスタンダードで楽しい曲が演奏され、会場に詰め掛けた、仕事を終えたOLやサラリーマン、ビル内のショップへの買い物客などが、師走の夕刻のひと時をジャズライブで楽しんだ。
このような巨大商業空間でジャズライブが無料で開催され、多くの人にジャズを楽しんでもらうというイベントは、最近少しづつ増えてきているようだ。ジャズが一部のファンだけでなく、生活環境の身近な音楽の一つとしてより多くの人々に聴いてもらい、楽しんで貰える事はとても素晴らしい事と思う。
このようなイベントがもっともっと増える事を願って止まない。

尚、今回のジャズライブを企画された(有)シーエフピー、イベント運営と素晴らしい音響・照明を提供された(株)ブレインズワーク・アソシエイツ及びそのスタッフの皆さん、関係者の皆さんの労に深く感謝の意を表したい。(N.S記)

演奏:「ジョニー郷原カルテット」pf:市村安正、A,Sax:吉野ミユキ、Bs:森おさむ、Dr:ジョニー郷原、ゲストボーカル:池野弘美
企画:(有)シーエフピー、運営・音響・照明:(株)ブレインズワーク・アソシエイツ
制作:(有)ドリーマーズ

≪LIVE ニュース≫

≪無料!ジャズライブ≫
JR大崎駅前にそびえ立つ「大崎ゲートシティー」のB1Fアトリーム内に於いて、クリスマスイベントとしてジャズライブが行われます。
当日、同アトリウム内に健康食品・食材のマーケットがプレオープンし、そのお披露目イベントとして店内で行われる予定でしたが、一般の人にも聴いてもらおうという事で、後半をアトリウム内に場所を移し、一般公開ライブとして行われる事になりました。誰でも自由に観れて、もちろん無料。
出演メンバーは、ドリーマーズ一押しのトップミュージシャンが勢ぞろい、素晴らしいジャズが聴けること請け合いです。
アトリウム内には大きなクリスマスツリーが飾られており、ジャズを楽しみながら、チョット早めのクリスマス気分が味わえます。演奏曲目はクリスマスにちなんだ楽しい曲満載との事。仕事帰り、学校帰り、デートの食事前にチョット立ち寄ってみてはいかが?。

日時:12月13日(水) 午後6時から約30分
場所:「大崎ゲートシティー」B1Fアトリウム
出演:ジョニー郷原カルテット&ボーカル
ピアノ:市村安正、アルトサックス:吉野ミユキ、ベース:森おさむ、ドラムス:ジョニー郷原、ボーカル:池野弘美
企画:(有)シーエフピー
制作:(有)ドリーマーズ

≪音楽コラム≫

≪ジャズミュージシャンの格付けとは?≫
先日、あるジャズピアニストから、興味深い、しかも深刻な話を聞いた。
彼は卓越した演奏力と音楽性で精力的にライブ活動を行っている、私の大好きなミュージシャンの一人である。
そのピアニストが言うには、ジャズのライブ活動の他、歌謡曲やポップス歌手のコンサートのサポートを務める仕事も多いのだが、自分のホームページにそのスケジュールを掲載する事が出来ない。その理由は、ジャズミュージシャンがジャズ以外の音楽活動をしている事を公表すると、一部のジャズファンからジャズミュージシャンとしての格が下がると批判を受けるというのだ。言い替えれば、歌謡曲やポップスは、ジャズより格下の音楽と言っているに他ならない。

私はとても不思議な気がした。ジャズであれ、歌謡曲であれ、ポップスであれ、同じ音楽であり、ミュージシャンが音楽活動をするのに、何の違いがあるのだろう。
一概にジャズといっても、初めからジャズとして創られた曲もあるが、映画音楽やミュージカル音楽、アメリカや世界各国の民謡、クラシック音楽、そしてビートルズに代表される現代ポップス等、様々なジャンル、地域で生まれた曲を、ジャズとしてアレンジし融合し、いつしかジャズの名曲として現代に継承されているものは、数え切れないほどある。
逆にジャズのテイストをクラシック音楽やロック、ポップスにインストールし、大流行した曲も数多くある。
ジャズはもともとジャズというジャンルがあった訳ではなく、アメリカのアフリカ系奴隷から生まれた民謡=大衆音楽(ポップス)の一つであり、200年以上の歴史を経て、様々な音楽とハイブリッドし発展、進化してきた音楽である事は周知の事実である。
いつしか、ジャズというジャンルが出来上がってしまった現代においても、ジャズが大衆音楽の一つである事に、なんら変わりは無いと思う。

現代の日本の歌謡曲やポップス、様々な映画音楽、若者に人気のブラックミュージック、クラブミュージック、その他、様々なワールドミュージック、それら全ては、やはり大衆から生まれ大衆に支持され、長い歴史に培われ育った、優れた大衆音楽であることを考えれば、ジャズとその他の音楽との隔たりなど存在するわけが無いのだ。むろん格の違いなどあるはずが無いし、特別他より秀でた音楽でもない。全てが同様に優れた音楽なのだから。
クラシック音楽でさえ、起源は古代ヨーロッパに端を発した大衆音楽であったし、現代も尚、ヨーロッパの人々は自分達大衆の音楽として享受しているではないか。時に正装してクラシックコンサートに出向いたりするのは、クラシック音楽が高級な音楽だからではなく、演奏される音楽とミュージシャンに対して、敬意を払う為に正装しているのだという事を聞いた事がある。

たかだか人間が創りだした音楽に、上下など存在する訳が無いのだ。
ジャズに限らず、あらゆるジャンルの優れたミュージシャン達は、より良い音楽を創り出し、より良い演奏をする為に、日々血のにじむような研修と努力を重ねている。ジャンルの違いこそあれ、それぞれの音楽に対する真摯な姿勢は共通であり、格の違いを問う事など、ミュージシャンに対して、音楽そのものに対して、失礼極まりない事と思う。
かのジャズピアニストにしても、歌謡歌手のバックを務める時、彼はいい加減な手を抜いた演奏などけっしてするわけが無いと思う。優れた歌謡歌手なら聴衆に自分の音楽を伝えようと真剣に唄っているはずだ。だから、その歌手がより輝けるように、自分の全てを注ぎ込んだ真剣な演奏でサポートしているに違いない。それが、音楽を心から愛し、音楽と共に生きていこうとする、優れたプロミュージシャンの自然なスタンスなのだと思う。

一部の自称ジャズファンという輩は、ジャズミュージシャンがジャズ以外の音楽活動をする事に、何を以って批判するのだろう。ジャズ以外は音楽では無いとでも言うのだろうか。
好き嫌いはいいだろう。ジャズは好きだけど、他の音楽は嫌い。ならば聴かなくていい。このミュージシャンの音楽は好き、あのミュージシャンは嫌い、それもいいだろう。
だからといって、ジャズミュージシャンに、ジャズ以外の音楽活動をするな、格が下がるというのは、余りに傲慢で偏狭ではなかろうか。その人達は本当に音楽を愛しているのだろうか。本当に音楽を必要としているのだろうか。はなはだ疑問である。
ジャズで培った演奏力、音楽性を他のジャンルで発揮して何がいけないのだろう。
本当にそのミュージシャンが好きなら、ジャズ以外の演奏も出来るんだと、その音楽世界の広さに驚嘆し、益々好きになるのが本当のファンではないだろうか。

あらゆる音楽、ミュージシャンにとっての環境整備は、まだまだ先行きの永い話なのかもしれないが、ミュージシャンが見当違いな批判に臆することなく、堂々と自分の音楽活動を公表し、本当のファンを獲得していける時代が早く来る事を願うばかりである。(N・S記)

≪CDアルバム レポート≫

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≪Jam Strings CDアルバム 遂に発売≫
ブルースやロック系出身のギタリスト「Jose有海」と、クラシック系出身のバイオリニスト「みっきぃ石内」との異色ユニット、「Jam Strings」の待望の初CDアルバム
「the Departure」が、今月9月5日、遂に発売された。
このアルバムは、さかのぼる事約8ヶ月前の、2006年1月11日、横浜のジャズスポット「エアジン」でライブ収録され、4月中の発売予定だったが、その後、制作に紆余曲折があったらしく、ようやく発売にこぎつけられたそうだ。記者は収録ライブを観た者の一人として、この発売を待ちに待っていた。
収録ライブの模様は、当サイトの1月11日付けのライブレポートでも紹介したが、熱気溢れるパワフルなライブだった。以下、そのライブレポートの一部を引用してみよう。
「・・・演奏前は生収録という事でかなり緊張していたらしいが演奏が始まればいっ気にハイテンション。二人のボルテージは全開しオリジナル曲オンパレード。オリジナル曲はジャズではない。様々な音楽エッセンスをハイブリッドしカテゴリーを超えた音楽作品である。
Jose有海は、たった一本のギターで、リード・サイド・ベース・リズムセクションの全てを信じられないほどのテクニックと独特の奏法で弾きまくる。時に激しく時に繊細に、そこから生みだされる膨大な音の振幅は聴く者を圧倒し身動きできなくなるほど。そのギターにしっかり支えられた、みっきぃ石内のバイオリンは、あたかも空を舞う天女のよう。流麗かつ繊細さに秘められた激情、その切なくも美しく、かつセクシーな音色は、大人心を虜にするに充分である。」
「・・・・一見ミスマッチなjose有海と、みっきぃ石内の不思議なコラボレーションが「Jam Strings」の真骨頂であり世界・・・・」
ライナーノーツによると、二人の出会いと「Jam Strings」の結成はとても偶発的だったらしい。しかし今日の「Jam Strings」の音に至るまでは、相当の苦労があったと記されている。
「現実はそんなに甘いものではありません・・・・肌の色も違い、言葉も通じない者どうしがジェスチャーまじりにコミュニケーションするかのように暗中模索をくり返してきました。・・・・サウンドは当然の結果として、ひとつの既製ジャンルにカテゴライズするには困難なものができあがりました。」
そして、「Jam Strings」でしか創りえない、数々のオリジナル作品をライブで発表しつづけ、遂に「エアジン」からライブレコーディングの誘いを受けたのだ。
「・・・・ライブにこだわり、しかも、本番に燃えるタイプの私達にとって、ファースト・アルバムがライブ盤というのは必然の結果だったと言えるでしょう。」
そう、彼らは、自らの音楽ステージをライブに定め、肌の色も言葉もちがう者同士の熱いコミュニケーションで我々聴衆をも巻き込む事で、「Jam Strings」の世界感を構築しようとしている。
今回発売されたアルバム「the Departure」は、その時のライブ感が充分に伝わり甦ってくる、素晴らしい作品となった。
「・・・・今までの集大成とも言えるこのアルバムは、ひとつの大きな通過点であり、さらなる新しいスタート地点への入口となることでしょう」とライナーノーツにあるが、まさに、タイトルの意味「出発」にふさわしい作品となった事は言うまでも無い。
このライブ盤CDアルバム「the Departure」は、「Jam Strings」のライブ会場の他、
Official Siteでも、購入する事ができ、また試聴も出来るとの事。
ちなみに、「Jam Strings」は当サイトのNETWORKアーティストにも参加しており、このアルバムがより多くの人々に聴いていただける事を大いに期待したい。(N.S記)

≪ライブレポート 2006.08.08≫

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≪田井中福司グループ at 「赤いからす」≫
8月5日、吉祥寺「赤いからす」で、ジャズドラマー田井中福司と、そのグループによるライブが行われた。
今年4月に引き続き、8月の1ヶ月間に及ぶ日本ツアーライブの皮切りとして、東京で3日間行われたライブの最終日であった。
田井中福司のプロフィールについては、言うまでも無く、ニューヨークに在住し活躍する日本人ドラマーであるが、4月来日ライブの際のレポートにも記述し、また氏のオフィシャルサイトが立ち上がったので、今回は省かせていただく。
東京ライブの共演者は、今回も田井中福司の盟友である、ベースの佐々木エヘラ俊一を中心に、ピアノ:佐藤雅史、サックス:HAL斉藤(8/3、8/4)林文夫(8/5)であった。
田井中福司のドラミングを、ベースの佐々木は「歌うドラム」と評している。
まさにその通りで、メロディカルでハーモニックなのだ。この点について、4月のライブレポートでも記述しているので、引用させていただく。
「・・・音の表情の豊かさ、ふくよかさ、そして楽しさは、聴いていて実に心地よい。決してドラムでがなり立てない。打撃音の激しさやパフォーマンスで聴衆を圧倒するのではなく、他の楽器、会場のスケールに自然にフィットし、リズム楽器としての的確なポジションを維持している。尚且つ実にメロディカルでハーモニックである。ピアノやサックス、ベースが弾き出すメロディーに打楽器としてのメロディー、ハーモニーで答え、そして次のイメージを引き出してゆく。シンプルで最小限のドラムセットでありながら、何故これほどまで複雑で多様な音の表情が生み出されるのであろう。その繊細で流れるような音の連続性は、会場の隅々まで浸透し、静かに聴衆の心を支配してゆく。
しかし、その表情豊かな音を生み出す四肢の動きは、まさに目にも留まらぬ神業であり、改めて田井中福司の技術力と表現力の高さを、認識させられるのだ。・・・」
そして、ベースの佐々木がシャレを込めて「ドラマチック」と評するほど、あるときはエレガンスに、あるときはパッショナブルに、またあるときはリリカルに、曲に劇的構成を演出していく。そして彼の演出に従って、他の共演者はそれぞれの役を演じ始めるのだ。
特に打ち合わせも無い、セッション形式の演奏でありながら、彼のドラムは瞬時に曲の展開を構成演出し、イメージを決定させていく。
また共演者達は、その多様な演出をされる事が、楽しくてしょうがない風情で、その演奏に熱情を帯び始めるのだ。A.Saxの林文夫との掛け合いは見事であり、見ているだけでもその楽しさが伝わってきた。
またベースの佐々木エヘラ俊一の、嬉しくてしょうがないという満面の笑顔が印象的であった。
ライブ後半は、田井中ファンを自認し且つ友人であるミュージシャン、高橋康広(Ts)、藍沢栄治(Bs)と、田井中のお弟子さん2名も飛入り参加し、予定時間をはるかに上回る、白熱の演奏が繰り広げられた。もちろん、記者も含め、満員の聴衆は時間の経つのも忘れ、演奏に酔いしれた事は言うまでも無い。
最後に、田井中福司のオフィシャルサイトをご紹介しておく。これまで日本では氏の動向を知るすべがなかなか無かったが、今後は身近になるものと期待している。
http://fukushitainaka.com                                   (N・S記)

≪ライブ レポート≫2006.07.13

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≪池野弘美ライブ at 新宿J≫
7月12日、梅雨の小雨がぱらつく中、ジャズボーカリスト池野弘美のライブが、ジャズスポット「新宿J(ジェイ)」で行われた。
池野弘美のボーカルは、何度聴いても驚嘆する。不思議なテンション感、良い意味で予想を裏切るフレーズ感、低音域から高音域へ移動する際の微妙な発声の変化。時にソフトに、時に力強く、また、朗々と美しい声で謳いあげるかと思えば、ジャジーなかすれ声でつぶやくように唄う。
また、わざとらしいお色気や笑顔を振りまかないのに、チャーミングであり、かつセクシーなのだ。
その千変万化なボーカリズムは、しかしけっして奇をてらったものではなく、楽曲に対する彼女の愛情がしっかりと感じ取れ、その事ゆえに繊細な表現の変化が必要である事を感じさせてくれる。
歌そのものを愛し、内に秘めた情熱、細やかな愛情、それらを様々な手法を用い、包括的に自己表現しているのだと思う。
かといって、ボーカル全体が弱いという事はない。全体を貫くダイナミズムとスケールの雄大さは聴く者を圧倒してやまない。例えて言うなら、大河の流れであろうか。滔々と流れる大河は実は様々な表情をもっている。ゆったりとした流れ、駿足な流れ、河岸のせせらぎ、岩に当り砕け散る波、淀み、透明感、深い蒼、光を反射し目映くきらめく波頭など、様々な表情の変化を間断なく見せながら、全体として雄大な流れとなるのだ。
しかし、これだけの表現方法を使い分けられるボーカリストは恐らく稀であろう。

さて共演の斉藤真理子トリオであるが、彼女のピアノは、実に歯切れが良い。そしてダイナミックでパワフルである。斉藤真理子の2作目のアルバムCD「So Many Stars」のライナーノーツに「力まかせでない力強さ、次の何かを期待させる魅力ある響き、そして楽器を鳴らしきる気持ちのよさがある。自由でスリリングなフレーズ云々」そして「よりアグレッシブで美しき説得力を持った」とある。
まさに言いえて妙、次から次へと繰り出される、力強くスリリングなフレーズは、聴く者の心をしっかり捕らえて離さない。「次の何かを期待させる」以上に予測を超える流麗で鮮烈な響きの前に、意識を失い平伏すしかないようだ。
ジャズミュージシャンに男女の区別はないと言いながらも、やはり女性らしさを感じさせる女性ピアニストが多い中、男性ミュージシャンをも凌駕する圧倒的なパワーは稀有な存在と言ってよいだろう。

池野弘美と斉藤真理子は、共にダイナミックでスケールが大きいが、その表現手法という点で、実に好対照である。
そして、この斉藤真理子のアグレッシブなピアノに触発されたのか、ライブ後半、池野弘美のボーカルは何時になく跳梁し、隠された熱い魂を垣間見せてくれた。ライブ後、池野本人も「壊れてしまった」と半分冗談で語ったが、これほど熱い池野弘美も珍しく、新しい一面を垣間見た気がした。
斉藤もまた池野の内面を引き出すべく、より対峙する演奏を展開したのではないだろうか。
池野弘美と斉藤真理子はそれぞれキャリヤ、実力共にハイレベルであり、且つ好対照であるが故に、二人の共演は新たなジャズシーンが生まれる可能性を感じさせるに充分なライブであった。

Vo:池野弘美、共演:斉藤真理子トリオ Pf:斉藤真理子、Bs:佐々木悌二、Dr:井川晃   (N・S記)
尚、池野弘美は当サイト、NETWORK ARTISTにも参加しています。
斉藤真理子Official Site

≪ライブ レポート≫2006.06.22

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≪佐久間優子トリオ in 新橋レッドペッパー≫
6月22日(木)佐久間優子ピアノトリオのライブが、新橋「レッドペッパー」というジャズスポットで行われた。佐久間優子は新進気鋭の若きジャズピアニストである。
佐久間優子トリオでのライブは3ヶ月ぶりらしい。佐久間優子のピアノに始めて出会ったのは、以前にもご紹介した事がある、歌舞伎町のバー「RAIMU-2nd」だった。場所柄、既に酔っ払っている客も多くいたが、彼女が一旦ピアノを弾きだすと、その圧倒的な演奏パワーに、次第に酔客は真剣に聴き始め、演奏が終わるや万雷の拍手が湧き起こったのを今でも鮮烈に憶えている。
さて今回のライブだが、パワー溢れる演奏はやはり筆舌に尽くしがたいものがあった。
ジャズをあまり分類はしたくはないが、どちらかというとコンテンポラリージャズの方に属するのだろう。

佐久間優子トリオの演奏の特徴として感じた事は、とても自由で感性豊かな3人が、その若いエネルギーと自己主張を互いにぶつけ合い,会話しあう事をとても楽しんでいる事だ。

殆どの演奏の場合、曲の頭は静かなピアノの序奏で始まる。リズムをとっている場合もあり、ルバートで入る場合もあるが、テーマの提示が終わりアドリブに入っていく頃から佐久間は徐々にヒートアップし、そのうち洪水のように言葉(音)が溢れ出す。まるでいくら喋っても自分の想いを伝えきれないもどかしさを、あらゆる言語(フレーズ)を使う事で払拭しようとしているかのようだ。
その絶頂に達した頃を見計らったように、ベースの岸徹至が次は自分が喋る番とばかりに、そのエネルギーを受け継ぎ、ベースソロに入ってゆく。岸は、佐久間が発したエネルギーを衰退させる事なく、益々ヒートアップし饒舌に喋りだす。緩急を巧みに織り込み、時に優しく諭すように、時に力強く説得するかのように、また例え話を挿入するかのように、その言語(フレーズ)の多様さとテクニックは秀逸である。
そしてドラムの橋本学は二人の演奏中もその会話に鋭いツッコミを入れ続けているのだが、自身のソロになると、満を持したように、驚異的なスティックプレーによって、凄いスピード感と激しさで一気に喋り始めるのだ。いつ終わるやも知れない間断のないその激しい論調(ドラミング)に、あとの二人はただ黙って聴いているほか手立てがないようだ。
しかし橋本も、もはや喋ることもなくなってきた頃、佐久間の静かなエンディングによって演奏は急速に終焉していく。

彼らにはジャズはこうあるべきだという方程式はないのだろう。またこんな演奏がしたいという思惑も感じられない。とても自由闊達なクリエイターなのだ。それぞれ楽器という言葉に代わる道具を使って、自己の内在する想念を思いのたけしゃべりあう事、議論しあう事、その時間と空間を共有する事が楽しいのであって、その自己表現の手段としてジャズのインプロビゼーションスタイルを最適な方法として選んだ、という事なのだろう
佐久間は幾つかのオリジナル作品を持っていて、今回もその中の何曲かを聴く事が出来た。
彼女の作品を聴くと、そのテーマ部分にどれも映像や風景が見えてくる。自身の脳裏に浮かぶ言葉にならない風景や映像を、詩や絵を描くようにジャズというメディアを使って表現しているのだと思う。
その描かれた映像はとても雄大であり、詩的であり叙情性に富んでいる。中でも、記者は必ずと言っていいほど風の流れを感じる。街を通りすぎる風、草原を渡る風、樹々の梢をすり抜ける風、爽やかな風、穏やかな風、激しく吹きすさぶ風、様々な風の表情が見えてくるのだ。彼女の繊細な感性が捉えた心象風景には、風の存在が重要な位置を占めていると思えてならない。
今回聴いた作品の中で、他の作品と明らかに異なり、出色だったのが「Wait for Shining Sun」(聞き間違いかもしれないが、太陽の輝きを待つ、という意味の曲らしい)という曲だった。(中註:後日、「I'm waiting for the shinning」であることが判明)
全編バラードで、流れるようなテーマ旋律がとても美しくメロディカルである。他の作品はどちらかというと雄大な叙事詩的構成をとっているが、この作品は、繊細な心の襞が垣間見えるような、パーソナルな小作品である。そのまま恋の歌詞を載せたくなるようなクラシックで言うところの、セレナーデの類だろうか。
面白かったのは、この曲のテーマは、15小節から成っていると聞いた事だ。演奏しずらくないかとの質問に、彼女は笑ってこう答えた。「たまたま頭の中で唄が15小節で終わってしまったから」。こんなところにも、彼女の自由奔放さが感じられる。

佐久間優子トリオのメンバーは、過去の偉大なアーティスト達が残してくれた遺産をしっかりと受け継ぎながらも、それに固執することなく、また、新しいジャズを創り出さねばという気負いも無く、純粋に自己表現・クリエイティブのツールとしてジャズ演奏を楽しむ事を自然に身に付けている。そしてその為に日々技術と感性の修練をしている。しかし、この傾向は彼らだけでなく、現代の若いジャズミュージシャン全般に言えることではないだろうか。
かって、マイルス デイビスは「ジャズは死んだ」と語ったらしいが、どっこい、音楽文化・音楽表現の一つとして若者文化に深く浸透し、確固たる地位を築いている事を改めて知り、ジャズの未来に光明を見た思いがした。
佐久間優子トリオの今後の更なる活躍を期待したい。
pf:佐久間優子、bs:岸 徹至、dr:橋本 学      (N.S記)
尚、佐久間優子は当サイトのNETWORK ARTISTにも参加している。
佐久間優子Official Site

追記とお詫び:文中、作品名「Wait for Shining Sun」の記載は、佐久間さん本人からのご指摘があり、「I'm waiting for the shinning」の誤りでした。中註にて訂正の上、佐久間さん及び読者の皆様にご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます。(編集担当)

≪ライブレポート≫ 2006.06.12

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≪THE NEWS at 池袋ADM≫
6月10日、ライブハウス、池袋ADMでの「THE NEWS」のライブを、約18年ぶりに観る事が出来た。
「THE NEWS」は今年で20周年を迎えるという、3人の女性から成る、ロックバンドである。
当時からのメンバーは、Gt:青木陽子、Bs:竹山菜穂子、Dr:内山明子。
現在は、ドラムの内山がライブでは休業し、ニューフェイス宍戸佑名が替わりを務めている。
結成した頃は、神楽坂のライブハウス「EXPLOSION」を拠点にライブ活動を展開しており、まだ音楽とは縁の無かった記者は、ひょんな事からメンバーと知り合う事になり、おにぎりなどの差し入れを持って、ライブを追いかけていたものである。

折りしもインディーズ系バンドが台頭し始めた頃。「いかすバンド天国」いわゆる「イカ天」というTV番組が大人気となり、BEGIN、たま、BLANKEY JET CITY、他多くのビッグアーティストを輩出し、かのGRAYは番組では失格になったものの、後に大ブレークしている。
「THE NEWS」もファイナルアーティストに残り、「輝く!日本イカ天大賞」では、ベストスピリッツ賞に輝いている。
この「イカ天」人気に便乗したメジャーレーベルは、少し人気が出ると、どんどんメジャーデビューさせていったが、「THE NEWS」は自己のスタンスを守る為、あえてその誘いには乗らず、自ら「ING」というインディーズレーベルを立上げ、活動を続けたのだ。
余談だが、メジャーレーベルのアーティストの量産と使い捨ては、この頃から始まったのではないかと思う。

さて最後に観たライブを境に、様々な都合でライブに行く事が出来なくなり、ライブ情報も解からなくなったまま、約18年が過ぎてしまっていた。
心の隅にいつも引っかかっていたものの、捜すすべも無く時は過ぎていったが、なんとつい最近になって、インターネット上で彼らのホームページを発見したのだ。
そして、今尚、精力的に活動を続けている事を知り、やもたまらずライブへと出かけた訳である。

18年という時の経過は一体なんだったのだろう。彼ら「THE NEWS」にとっては、何の意味もない事なのか。その音楽性、演奏力、表現力は格段の成長を遂げ、18年の重みを感じさせるが、そのロック魂は年取ることなく、パワー、スピリッツは一切衰退することなく、それどころか、昨夜結成したばかりのように新鮮な爆発を引き起こし、激しすぎるライブパフォーマンスに十何歳も年下であろう他の若き対バンを、見事に圧倒するステージを繰り広げたのだ。
彼らを若いロックバンドとは呼べないが、ベテランバンドという呼称は失礼極まりないと思う。
溌剌とした若さ、尖りきったメッセージ、反戦、反体制、反社会。彼らは甘いラブソングなど一切歌わない。若者でしか表現できないはずの、いわゆる青臭いメッセージをいまだに叫び続けられるパワー、そしてそれがロックなのだと言わんばかりである。
ビジュアルさえも変わっていない。ボディーもフェイスも当時のまま。彼らのロック魂は、歳をとれば当然訪れる肉体の衰えさえも停止させるのだろうか。

当時はCDというメディアが普及しておらず、「THE NEWS」が「ING」レーベルからリリースした、カセットテープ、ソノシート、SPレコードを、記者は今も大事に持っている。
「DO!DO!DO!」「もっと自由に」などなど。
そして今回のライブでは、その頃からのレパートリーも新曲の如く熱唱。「もっと自由に」は以前にも増して反戦・反体制色の濃いメッセージを挿入し進化させていた。記者は始めて聴く、沖縄をテーマにした「忘れられた島」をはじめ、聴き慣れた曲さえ始めて聴くような新鮮さに、驚きと熱すぎる感動を覚えたのだ。

インディーズ系ロックバンドが、20年間同じメンバー、同じテンションを維持し、且つ進化させる事は至難の事であろう。音楽性の違いを理由に解散するバンドは多い。でも続けるパワーそのものが、つまりは、彼らの言う「ロック魂」という事なのかもしれない。(N・S記)
「THE NEWS」オフィシャルサイト

≪ライブ レポート≫2006.05.30

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≪Olive+小野トリオ in Sunny Side
5月29日(月)、高田馬場「Sunny Side」で、ボーカリスト、Oliveのライブが行われた。
Oliveはジャズを本格的に唄いだしてから、さほど年月は経ってはいないが、その独特の声質と誰の真似でもないファンキーな唄い方で、既に自分のスタイルを創り始めているジャズシンガーである。2月25日のレポートでも取り上げ、彼女の唄を「おきゃんな下町娘が一気にまくし立てるよう」と表現したが、今回のライブでは、益々その唱法に磨きがかかってきたようだ。ハイテンポで高音域になるほど、その特質が顕著になり、例えが悪いが金属をこすり合わせたような声になる事もある。しかし決して嫌な音ではない。むしろ感嘆の声を上げたくなるほど爽快なのだ。不思議な声だ。声の波長とリズムテンションの位置が、うまくぶつかり、不可思議な共鳴を生み出しているのかもしれない。これは誰かの真似をしているとは思えないし、意識して出来るものでもないと思う。彼女はエラやサラボーンをこよなく尊敬し、またステイシーケントの大ファンだという。Oliveが彼ら敬愛するアーティストから一番学んだもの、それは口先のテクニックで唄う事ではなく、自分の想いをストレートに表現する事であったと言う。まさにOliveの唄の魅力はストレートさであり、彼女独特の声帯を媒介して表現される、彼女自身の人間性の魅力なのだと思う。
さて、共演のピアノ小野孝司は、益々ビバップの海底洞窟の深淵へとダイブし、その向こうに一条の光束が見え始めたような演奏だった。小手先のファンキーさに溺れず、一音一音を実に大事にし、それらを丁寧に且つ複雑に組み合わせ、尚解体し、見事に深い音域感を構築し、そして見事にファンキーであった。
小野は彼が尊敬して止まない偉大な先達、モンクやバッド、バディハリスを超えることは出来ないと言うが、何も超える必要は無いし、超えようと知る事自体、無意味であると思う。なぜなら、小野孝司は他の誰でもない小野孝司であって、その上、既にその求道的精神によって、独自のビバップの世界を構築し始めているのだから。時代を隔てるも、いずれ彼らと肩を並べるアーティストになる日が来る事を楽しみに待ちたいと思う。
ベースの菅井信行は、冷静で的確なポジションによって、Oliveや小野孝司のファンキーさをものの見事に収斂し、扇の要としての役割を存分に果たしていた。もちろん彼の心の内の熱情を否むものではないが、菅井のベースがあってこそのOliveであり、小野であったように思えるのだ。バンドにおけるベーシストとしての在り方の一つの典型として、聴く者を唸らせる渋みのある演奏であったと思う。
ドラムの竹下宗男は、まだ若く、最近小野トリオのメンバーになったらしいが、臆する事の無いビビットなシャウト感と若い感性が光っていた。ただ、所々スネアーの連打が行進曲っぽくなっていたのは、若さゆえの愛嬌か。
Sunny SideはOliveにとっては、デビュー当時からの付き合いであり、約1年ぶりのステージらしく、その意気込みが充分に伝わったライブであった。
vo:Olive、pf:小野孝司、bs:菅井信行、ds:竹下宗男
(N・S記)

≪ライブ レポート≫2006.05.27

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≪歌舞伎町にJAZZ復活の兆し?≫
今、東京新宿、歌舞伎町ではJAZZが復活の兆しを見せ始めているという。というのも、歌舞伎町の中の様々な飲食店でジャズの生ライブが行われているというのだ。もちろん歌舞伎町だけに、ホステスさんのいるクラブも多いようだ。
これまではそういったお店は、必ずと言っていいほど、カラオケセットを置き、客はお酒を飲みながらカラオケを楽しむというのが普通だった。しかし、ここ数年はカラオケを唄う客も減り、カラオケセットを置かない店も増え始めていた。そんな時流の中、やはり生の音、それもプロの演奏する音楽を聴きたいという要望が出始めてきたのだという。
かって、新宿、歌舞伎町はJAZZが隆盛し、ジャズクラブ、ジャズバー、ジャズ喫茶がいたるところにあり、また、生のバンドを常設している飲屋さん、そしてBIG BANDでダンスを楽しめるキャバレーなどがひしめき合っていた街である。いつしか、カラオケの流行と共に、ミュージックフィーの発生する生演奏はその影を潜めていった。
しかし、ここ数年、カラオケへの倦怠感を持ち始めた客への新しいサービスとして、生の音楽を気軽に楽しめるジャズライブを定期的に開催し、客離れを食い止めようという店が現れ始めたのだという。
5月26日(金)、そんな店の一つ、「ニューインペリアル」でのジャズライブに伺った。新宿区役所通りに面した雑居ビルの6階あるこじんまりとしたお店。このお店は、若い頃から新宿で活躍していた、ドラマーでありボーカリストでもあった鎌田 徹氏が経営し、月に2度ほど、自らのドラムと様々なミュージシャンを招いてのライブを行っていた先駆け的な店である。1昨年、氏が急逝し、しばらくはライブを休止していたが、今年に入って再開し始めたらしい。
今回のライブで、故 鎌田 徹氏の遺品ドラムを叩くのは、この店の運営に参加し、深夜は自ら経営する店でもライブを行っているドラマー、ジョニー郷原。そして以前から、このライブの主力メンバーであった、ベース:EHERA佐々木、ピアノ:小野孝司のトリオ。そして、まだボーカル修行中という、内金崎 明子が飛入りゲストとして参加した。
狭い客席は満杯となり、気を利かせた客が、ステージの変わり目で後から来た客に席を譲り帰る姿も。
トリオの演奏は飲み屋さんである事を配慮した、スタンダードで楽しい曲を中心に行われた。初めて生演奏を聴くという客もいたが、その素晴らしい生のジャズ演奏に、ほろ酔い加減の客は大ハシャギ。
やはり他の客のカラオケを聴かされているより、プロの演奏を聴くほうが、お酒も進むという事だろうか。
また、修行中のボーカル、内金崎 明子に対しても、励ましの温かい拍手を送っていたのは、歌舞伎町ならではの事だろう。かって下積み時代を歌舞伎町で過ごし、飛翔していったミュージシャンは数限りなくいるのだ。
新宿区は「ルネッサンス歌舞伎町」と銘打って、歌舞伎町の浄化運動を繰り広げ、その一環として音楽興隆にも力を入れ始めている。しかしそういう政策的レベルではなく、人々が音楽と共に生き楽しむ事が、実は人生を豊かに育んでくれるのだということを改めて考え直す必要があるように思う。
ジャズに限らず音楽ライブをイベントとして行う店がもっと増える事で、結果として歌舞伎町への客の誘引と活性化につながり「音楽の街、歌舞伎町」として再生復活する日を待ち望みたい。
pf:小野孝司、bs:EHERA佐々木、ds:ジョニー郷原、ゲストvo:内金崎明子
(N・S記)

≪ライブレポート≫2006.05.25

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≪EHERA BAND in 浅草HUB≫
5月24日、おりしも五月雨降りしきる中、浅草のジャズスポット「浅草HUB」で「EHERA BAND」のライブが行われた。「EHERA BAND」はご存知、ベーシスト、EHERA佐々木率いる、ジャズコンボ。メンバー編成は固定はしていないが、今回はピアノ:久保政巳、ギター:杉田雄二、ドラム:前田富博のカルテット編成、ゲストボーカルに河角小枝子を招いた。
EHERA佐々木は、いくつかの主宰バンドを持っているが、中でもEHERA BANDはその主軸を成すバンドである。EHERA佐々木はニューオルリンズジャズ、特にそのファンキーさに強い憧れを持っており、また、ベーシスト、ウオルターペイトンの奏法に強い影響を受けている。その性か、彼のプレイスタイルは、素朴だがとても力強く、はじき出す音の一つ一つに、彼の音楽に対する熱い思いが込められている。(記者は勝手にそれをニューオルリンズ スタイルと呼んでいる)。それから、どんな曲であろうが、必ず同じフレーズを盛込んでくる。恐らくEHERA佐々木は、曲想に自分を合わせるのではなく、自分の表現したいイメージを様々な曲を使って具現化しているのだと思う。また、主宰バンドでありながらメンバーを固定しないで、その都度変えようとするのも、様々なミュージシャンとのコラボレーションを楽しみながら、そのミュージシャン達から新しい何かを啓発され、その上で自己をどう表現すべきかを追求しているのではないだろうか。
その意味で、EHERA佐々木のライブを観る側にとって、ライブ毎に彼自身の音楽的楽しみ方、音楽的表現の変化を共有できる楽しさがあるのだ。
共演のピアノ:久保政巳は、元はジャズピアノを弾いていたが、今や歌謡界では知る人ぞ知るキーボーディストでありながら、ジャズでは実に華麗かつブルージーな演奏をする鬼才である。
EHERAとは学生時代からの音楽仲間。お互いに気心を知りすぎた中であり、しかし、それぞれ別の音楽人生を歩きながら、つかず離れず、良い関係のコラボレーションライブを継続している。
杉田雄二のギターは流麗なフィンガーテクニックから生まれるファンキーさが真骨頂であり、独特の世界を構築している。EHERAとはドュオでの共演も多く、EHERAのお気に入りの一人である。
ドラムの前田富博は、ラテンバンド「ペドロ&カプリシャス」のメンバーであり、EHERAがラテンバンドに在籍していた頃からの仲間。切れの良いアタック感があり、流石、ラテン曲でのドラムソロではその真価を発揮した。EHERA佐々木は、過去ジャズだけでなく、様々なラテンバンドにも参加し、現在も、前田富博と共に、ラテンバンド「Manicero Segundo」に参加している。
今回のライブは、雨に祟られ、客足は今ひとつであったが、実力者揃いのバンドメンバーに支えられたEHERA佐々木が、如何なく熱い魂の表現を発揮し、聴く者がそれを感受できた事は幸せであった。
尚、EHERA佐々木、久保政巳は当サイトのNETWORK ARTISTにも参加している。
pf:久保政巳、gt:杉田雄二、dr:前田富博、bs:EHERA佐々木、vo:河角小枝子   (N・S記)

≪ライブ レポート≫2006.04.25

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≪THE BELLS≫
4月25日、六本木サテンドールで約3ヶ月ぶりの「THE BELLS」のライブが行われた。彼女達ほどのパワーとエンタテイメント性に優れたコーラスグループがかって日本にあっただろうか。
「THE BELLS」は女性4人のコーラスグループ。メンバーそれぞれが、別々のジャンルでボーカリストとして活躍する傍ら、時に集合し「THE BELLS」として活動している。
久保田容子は主にR&B系や最近はテクノ系にも進出。小山けいとはボサノヴァなどのブラジル系、やさしまゆみはサルサ等のキューバラテン系、そして池野弘美はジャズスタンダードやアメリカンポップス系、とそれぞれの拠点を持っている1流ボーカリスト達である。だから、それぞれが強い個性を持っており、その声質、音域、歌唱法が見事に異なっている。久保田容子のシャウトなハイトーン、小山けいとのナチュラルボイス、やさしまゆみのストレートかつワイルドなミッドボイス、池野弘美のジャジーな超低音とそこから3オクターブは駆け上がる驚異の声域。だからこそ「THE BELLS」のコーラスは、その個性のぶつかり合いから、爆発的で振幅の大きいハーモニーを生み出すのであろう。
池野はある時、「私達はキレイなハーモニーは性に合わない。音のぶつかり合いを楽しんでいる」と言っていた。それは、いい意味での不協和音であり、濁和音である。そのぶつかり合った音はまるで津波のように押し寄せ、聴く者の理性を消失させ「THE BELLS」の世界の彼方へと引きずり込んでゆくのだ。
また、コーラスアレンジ、バックアレンジも実にエンタテイメントに仕上ている。「明日にかける橋」が8ビートのゴスペル風になったり、ボサノヴァ「バナナの木」が途中でR&B風のスキャット掛け合いになったり、ゴスペル曲の間トロでのインストでフュージョンぽいギターソロが入ったり、数え上げたらキリが無いほど、意表を突くアレンジが細かく施されている。だから決して飽きさせない。全編、エンタテイメントに徹している。
今日のライブは、3ヶ月ぶりという事も手伝ってか、彼女達のパワーも大全開し、聴衆もまた、その津波に呑み込まれて行った。
共演:森丘裕希(pf)、廻大輔(gt)、吉原成雄(bs)、河崎真澄(ds)         (N・S記)

≪ライブ レポート≫2006.04.17

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≪Fukushi Tainaka Tour LIVE in Tokyo≫
ニューヨークで活躍する日本人ドラマー「田井中福司」グループの東京ツアーの内、4月12日、川崎「ピアニシモ」、4月15日、吉祥寺「赤いからす」でのライブを観てきた。
田井中福司は、既に<LIVE NEWS>でも紹介しているが、1980年に渡米後、ニューヨークに在住。「Lou Donaldson」のレギュラーメンバーとして、また多くの著名ジャズアーティストと共演を行っている、常にニューヨークの第一線で活躍するドラマーである。
田井中福司の筆舌に尽くしがたい演奏技術の高さは言うまでもないが、そこから生み出される音の表情の豊かさ、ふくよかさ、そして楽しさは、聴いていて実に心地よい。決してドラムでがなり立てない。打撃音の激しさやパフォーマンスで聴衆を圧倒するのではなく、他の楽器、会場のスケールに自然にフィットし、リズム楽器としての的確なポジションを維持している。尚且つ実にメロディカルでハーモニックである。ピアノやサックス、ベースが弾き出すメロディーに打楽器としてのメロディ、ハーモニーで答え、そして次のイメージを引き出してゆく。シンプルで最小限のドラムセットでありながら、何故これほどまで複雑で多様な音の表情が生み出されるのであろう。その繊細で流れるような音の連続性は、会場の隅々まで浸透し、静かに聴衆の心を支配してゆく。
しかし、その表情豊かな音を生み出す四肢の動きは、まさに目にも留まらぬ神業であり、改めて田井中福司の技術力と表現力の高さを、認識させられるのだ。そして異邦人というハンデを背負いながら、20年以上もの間ニューヨークの第一線アーティストとして存在し続けられる理由が分かるのである。
ちなみに4月17日から20日まで、ブルーノート東京に於いて「Lou Donaldson」グループが来日コンサートを行うが、田井中福司はもちろんレギュラードラマーとして合流し、出演する。
川崎「ピアニシモ」で共演した、佐藤雅史(Pf)、杉田雄二(Gt)、エヘラ佐々木(Bs)。吉祥寺「赤いからす」で共演した、久保政巳(Pf)、エヘラ佐々木(Bs)。そして、それぞれの会場で飛入り演奏したミュージシャン達は皆一流のミュージシャンであるが、田井中福司の演奏に触発されてか、尚一層素晴らしい演奏を展開した事を付記しておく。(N・S記)

≪ライブ レポート≫2006.04.11

≪代々木ナル≫
4月11日(金)、代々木のJAZZ SPOT「代々木ナル」で、佐久間優子(Pf)デュオ、高橋奈保子(Vo)のライブが行われた。佐久間優子は、当サイトのNETWORK ARTISTにも参加している、新進気鋭のピアニスト。今回は彼女のトリオメンバーである、岸 徹至(Bs)とのデュオでの演奏である。気心の知れた仲間同士という事で、見事な掛合いを演じる。彼女のピアノから発せられる音は、実に熱い。心の中に蓄積している様々な想い、映像がストレートに指先を通して鍵盤を叩いてゆく。時に激しく、時にたゆとう様に、聴いていて彼女の心の世界が垣間見えすような気さえする。
彼女はJAZZを演奏したいのではなく、彼女の自己表現の手段としてJAZZを選んだのだと思う。
思うに、彼女は音という絵筆で白いカンバスに心の赴くまま絵を描いているのではないだろうか。
以前、彼女のオリジナル曲の演奏を何曲か聴いた事があるが、実に壮大な映像がイメージできる音楽作品であった。記者はCD化されることを待ち望んでいる一人である。

高橋奈保子のボーカルも、実に素晴らしい「音」を発していた。けれんみの無いストレートな表現で、わざとらしいねちっこさが無く、しかしそのリズム感、テンションの張り具合は秀逸で、聴いていて実に爽快である。また、伸びのある美しい声質は、とてもチャーミングで清楚なセクシーささえ感じる。
ボーカルは肉体を使った楽器であると言われるが、まさに彼女のボーカルスタイルは歌詞に重点を置いた「唄」ではなく、リード楽器として存在しているように思えた。声という楽器を使って自己表現しているのだと思う。ベース岸 徹至とのスキャットでの掛合いも見事であった。
岸 徹至の変幻自在のベースもまた、ベースというカテゴリーを超えた、彼の表現そのものであった。
その意味で、3人は共通した音楽観を持っているのではないだろうか。3人のテンションの位置が、ピタッリ整合したライブであった。
ピアノ:佐久間優子、ベース:岸 徹至、ボーカル:高橋奈保子     (N・S記)

≪ライブ レポート≫2006.02.25

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≪小野トリオ+Olive in EARLY BIRD≫
2月25日(土)、錦糸町「EARLY BIRD」というJAZZ SPOTで、ピアノ小野孝司トリオのライブが行われた。
小野孝司はビ・バップジャズが大好きで“バッド・パウエル”“セルニアス・モンク”らを敬愛し、中でも“バリー・ハリス”をこよなく尊敬しているという。つい最近も、その“バリー・ハリス”のライブを聴く為に、わざわざニューヨークまで行ってきたそうだ。
確かに、小野のピアノは彼らのプレイをほうふつとさせるフレーズが随所に出てくる。しかし決してコピーではない。わざとリズムをずらしてみたり、とんでもない(失礼)コードを挿入してみたり、しかしそれらのプレイは、全て彼らの音を自己の中に取り込み、昇華させ、新たな自分の言葉として紡ぎだしているのだ。そう小野のピアノに向かう姿は、まさに自己の中に内在するビ・バップという繭から1本1本絹糸を縒り、紡ぎだしているかに見える。また、信奉する音楽・ミュージシャンの跡を追い、ひたすら自己を高めようとする求道者のようにも見える。
その紡ぎだされた音は、聴くものにとって、ある時は震撼させ、ある時はニンマリと微笑を浮かべさせる。
ビ・バップが隆盛を極めた過去と現在とがシンクロし、あたかもその時代に居るような錯覚さえ覚えてしまう。
クールダンディー菅井信行の的確なベース、山下洋介トリオのメンバーでもあった原田佳和のシャウトなドラムに支えられ、小野孝司はニューヨークで吸った空気を存分に吐き出したようだった。
共演したジャズヴォーカリスト、Oliveもまたニューヨークに小野と同行し、エネルギーを蓄えて戻ってきたそうだ。彼女の唄は実にファンキーだ。なよった所が一切無い。おきゃんな下町娘が一気にまくし立ててくるような爽快感があり実に愉快だ。こんなボーカリストも珍しい。形にはまらない自由奔放さは、彼女の無二の魅力であり、このスタイルが確立された時、大きく花開くに違いないと感じた。
出演:小野孝司:pf、菅井信行:bs、原田佳和:ds、Olive:vo。(N・S記)
(ちなみに、小野孝司、Oliveの二人は、当サイトのNETWORK ARTISTとしても紹介させていただいております。)

≪ライブ レポート≫2006.02.20

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≪池野弘美 at 大手町JAZZ LIVE≫
2月20日、大手町の「東宝DINDON」というレストランで行われたジャズライブ。レギュラーバンド、根市タカオ(Bs)トリオにヴィブラフォン出口辰治、ヴォーカル池野弘美がそのゲストとして出演した。
店内は満席状態。大手町という場所柄か、かなり年配の紳士、淑女が目立つ。ジャズがもっともPOPな音楽であった良き時代に青春を過ごした人達が、今も尚ジャズを愛しライブに足を運ぶのは、とても素敵な事だ。そして、ジャズの聴き方、楽しみ方をとても心得ている。体をゆすり、手拍子、掛け声、とても60歳を越えた(恐らく)方々とは思えないノリだ。
もちろん、根市タカオトリオのライブパフォーマンスの力量に触発されての事であるのは間違いない。根市タカオの安定した重厚なベース、大橋高志のファンキーなピアノ、渡辺毅のダイナミックなドラム、出口辰治の跳ね飛ぶヴィブラフォンが織り成す、良い意味で懐かしいジャズのスイング感が、客の感性にフィットしているのだと思う。
そして、池野弘美。ボーカリスト池野弘美が放つ輝きは、一体どこから来るのだろう。その美貌もさることながら、彼女の歌の世界観が聴くものを圧倒する。彼女の声質、発声法はいわゆるジャズではないと思う。どちらかというとクラシックよりではないだろうか。アルト音域でパルセットを使わず、2オクターブ近くを朗々と唄いきる。だが、それがクラシック的歌い方にならないのは、とても不思議なリズムとテンション感を持っているからだ。そこから生み出される独特のフレーズ感は、真っ直ぐに聴く者の心を突き抜け、意識を失わせ、池野ワールドへと引きずり込んでゆく。彼女はジャズナンバーにこだわらず様々な洋楽を唄うが、全てを自分の歌に変えてしまう。池野弘美はジャズシンガーではなく、ボーカルアーティストなのだという事を、再認識させられたライブであった。
東宝DINDONホームページ:http://r.gnavi.co.jp/g013010/menu4.htm

≪ライブ レポート≫2002.02.18

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≪Jam Strings in 阿佐ヶ谷クラヴィーア≫
「Jam Strings」のステージは何故こうもハッピーなんだろう。
2月18日(土)、阿佐ヶ谷のJazz bar 「クラヴィーア」での初出演ライブ。演奏が始まる前から客席は満席。40〜50人は入っているだろうか。ギターの「Jose有海」の地元という事で、地元の友人・知人も応援に駆けつけている様子、演奏前から店内は妙に熱い空気が立ち込めている。期待感に思わず顔がほころぶ。
さて、「Jose有海」とバイオリンの「みっきぃ石内」がステージに立ち、いつもの掛け合い漫才?(=失礼)MCが始まると、それだけで会場は一気にヒートアップ。今回のテーマは「JAZZナンバーによるアダルトバージョン」という事で、シックな雰囲気を狙ったそうだが、あにはからんや、いつものJamの熱血パワープレイに、手拍子、掛け声が飛び交い、1曲目から興奮の坩堝と化す。
Jam Stringsは、スタンダードナンバーを演奏するときでも、全てオリジナルアレンジを持っている。
特に印象深かったのは、「SUMMER TIME」。イントロに実にカッコイイアレンジテーマを設けており、かのジャニスジョプリンの「SUMMER TIME」のイントロに匹敵すると言っては、言い過ぎだろうか。
風俗営業法改正についてのMCから始まる(?)クラシック曲「トルコ行進曲」も、Jamの手に渡ると楽しいロックに変貌する。
オリジナル曲「ボンボヤージュ」は月夜の港町が目に浮かぶ、ポエミーな曲。二人が演奏しながら唄うのだが、「みっきぃ」が実にチャーミング。
彼らの演奏を観て聴いて、いつも思うのは、二人とも実に凄い演奏技術を持っているのだが、それを観客に感じさせない事だ。まず、楽しませる。このエンタテイメント性が「Jam Strings」の真骨頂である。
2ステージ、腹一杯楽しませてもらい、我侭な(=失礼)熱狂的な客のアンコールリクエストに応え、2曲披露。ロックンロールアレンジで「IN THE MOOD」。そしてブルースの名曲「SWEET HOME CHICAGO」。観客全員が“IN THE MOOD”“COME ON”を大合唱。いやはや、「Jam Strings」のパワーと求心力を改めて思い知らされたライブだった。(N&S記)
出演:Jam Strings Jose有海(G,Vo)、みっきぃ石内(Vio,Vo)
http://www3.tokai.or.jp/bey55/jose-index.html

≪ライブレポート≫2006.01.27

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≪深夜のJAZZ LIVE≫
なんと、深夜の歌舞伎町で毎週金曜日、JAZZ LIVEをしている店がある。ライブのスタートは25時から、つまり午前1時。そんな深夜にもかかわらず、それなりに客は集まっている。それも客足のピークは午前2時を過ぎてから。さすが24時間起きている街、歌舞伎町である。
店の名前は「RAIMU-2nd」。演奏はトリオが基本で、マスターのジョニー郷原氏がドラムを叩き、ピアノもしくはギターとベースのメンバーが毎回入れ替わり、ゲストボーカルが出演する事もある。当サイトのNETWORK ARTSTで紹介しているミュージシャン達も多数出演し、朝の4時過ぎまで熱演を繰り広げている。客は酒を飲み、ほろ酔い機嫌で演奏をノリノリに楽しんでいる。ジャズは気取って聴くものではないし、ジャズとお酒とは付きもの。こんな楽しみ方もあって良い。金曜日、歌舞伎町で朝まで過ごしてみたい方には、もってこいの店だ。演奏の合間にはキレイなお姉さんが話し相手をしてくれるのも嬉しい。一度覗いてみてはいかが?
問合せ:「RAIMU-2nd」 新宿区歌舞伎町2-27-8アタミビル3F TEL:03-3203-0345

≪ライブレポート≫2006.01.11

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≪Jam Strings in 横浜エアジン≫
新年1月11日、「Jam Strings」初アルバムCDの生収録ライブが横浜馬車道のジャズスポット「エアジン」で開催された。
「Jam Strings」はjose有海(ギター)とみっきぃ石内(バイオリン)の二人による異色ユニット。オリジナル曲やジャズ・ブルース・ロック・ポップスなどを独特のニュアンスで演奏し人気を博している。「美女と野獣」コンビとよく言われるらしいが、なるほど見れば納得。(失礼)
演奏前は生収録という事でかなり緊張していたらしいが演奏が始まればいっ気にハイテンション。二人のボルテージは全開しオリジナル曲オンパレード。オリジナル曲はジャズではない。様々な音楽エッセンスをハイブリッドしカテゴリーを超えた音楽作品である。
jose有海は、たった一本のギターで、リード・サイド・ベース・リズムセクションの全てを信じられないほどのテクニックと独特の奏法で弾きまくる。時に激しく時に繊細に、そこから生みだされる膨大な音の振幅は聴く者を圧倒し身動きできなくなるほど。そのギターにしっかり支えられた、みっきぃ石内のバイオリンは、あたかも空を舞う天女のよう。流麗かつ繊細さに秘められた激情、その切なくも美しく、かつセクシーな音色は、大人心を虜にするに充分である。
なんと「Jam Strings」は歌も唄う。joseの男臭い声と、みっきぃの小鳥のような声がなんとも不思議なハーモニーを醸し出す。まさに昔話の天からの迎えを待ちわび、羽衣をたなびかせ唄い舞い続ける天女と浜の漁師ではないか。この一見ミスマッチなjose有海とみっきぃ石内の不思議なコラボレーションが「Jam Strings」の真骨頂であり世界である。
しかしMCに入ると雰囲気は一転、二人の会話はまるで夫婦漫才(注:決して夫婦ではない。念の為)ボケのjoseにみっきぃが的確な突っ込み。会場は大爆笑。何故か見ていて意味無く嫉妬してしまうほどのコンビネーション。この呼吸の良さ、息の合い方が実は演奏に反映し異色のコラボレーションを成立させているのだと納得する。そして「Jam Strings」が自らの音楽性をエンターテイメントに位置づけている事に拍手を送りたい。
ちなみに今回収録したライブCDは「エアジン」から桜の咲く頃、発売となるらしい。今から楽しみである。
<Jam Strings Official Site>